09/10/07 09:22:29 DpZ2ILt4
>>719 直系の曾孫にあたる江藤淳が著書の中で書いていることです。
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江藤淳『一族再会』 P143-P144
そういう息子の姿に、嘉蔵がなにを感じていたか私は知らない。確実なことは彼が、喧
嘩よりは学問のほうで安太郎が頭角をあらわすのを喜んでいただろうということである。
集中力にめぐまれていた安太郎は、当時の制度にしたがって下等小学と上等小学に分れ
ていた小学校の課程を、いずれも跳び級をして進級し、ほとんど規定の半分の期間で修了
してしまいそうな形勢であった。安太郎が、早く小学校を終えてしまえばそれだけ家計が
助かるとまで考えたかどうかはわからないが、「小使の子」といって馬鹿にされぬために、
圧倒的に優秀な成績をあげて級友の尊敬をかち得ておかねばならぬことは本能的に心得
ていたであろう。
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江頭安太郎が、攻玉社時代に毎日英語の辞書を食いちぎって猛勉強に励んだエピソード
は有名ですが、その根底には、小使の子としての劣等コンプレックスがあったからではない
かということも江藤淳は述べていますね。