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雅子妃の先祖は、村上藩の下級武士ではなっかたと言われている。
その村上藩の下級武士の生活はどのようなものだったか?
元村上市史編纂専門員の大場喜代司氏の著書より。
大場喜代司『村上藩』
侍と町人の結婚
徒士、足軽、中間、若党は家中の外である。徒士と足軽は藩と雇用関係を結ぶが、
中間、若党は主人と本人の契約で、藩とは関係ない。いずれにせよ彼らは侍の籍に
はあるが、藩主が転封するときは従う義務はない。
徒士や足軽の居住区は、町人地に近い曲輪の外れや、町人地の中などである。
中間や若党の住居は主人の屋敷の一隅であり、長屋門内であった。彼らは町人と接
触の多い環境にあり、最も町人に近い存在であった。
戦乱の世では、中間も若党も軍事集団の一員である。主人の身の回りの雑務をこな
し、槍や鉄砲で敵と命のやりとりをしなければならない。ところが江戸時代は平和であ
る。彼らの職務はもっぱら主家の雑役や登城の供である。
嘉永六年(一八五三)ころの徒士や足軽の職務は、大工頭、小細工方、作事監督、料
理人、仕立物師などで職人そのものである。扶持は平均二人扶持三、四両であるから、
一家を養うには足りない。幕末の村上では、一般家庭の生活費は、一年に一〇両であ
った。しかし彼らは職人同様だから内職は容易である。