09/09/09 19:59:41 w4gflnju
>>349 まず基本的な間違いを指摘。小和田家の先祖は足軽だと推測されていますよね?
足軽は武家の奉公人であって、武士ではありません。
足軽というのは農民から召抱えられる例が多く、また農家や商家から養子を迎えいれて
います。
村上藩の場合、徒士以下の軽輩は、下駄屋や大工などの職人階級と婚姻関係を結んで
いたようです。
大場喜代司『村上藩』
こうした要素が、町人との婚姻を容易にしていった。万延元年(一八六〇)頃から明
治三、四年(一八七〇、七一)までの「職分人別」を見ると、侍地に隣接する町人地に、
両者の婚姻関係を持つ家が多い。なかでも羽黒町には二二軒、久保多町には一八軒
もある。ついで小町一三軒、片町一一軒、上町七軒、長井町六軒、寺町五軒などであ
る。
職業は修験や僧侶、商人もあるが、下駄屋、大工、塗師、紙漉きなど職人が多い。
武家から町家への婚姻が多く、婿養子は侍の二男、三男が対象となっていた。いうま
でもなく口減らしである。この反対に町家から侍の家へ入籍しているのは三、四人程度
である。
「軽き侍」の町家への入籍は、藩経済の悪化に伴い頻度を増す傾向にあった。