皇室のウソ、妄想を徹底検証 part2at EMPEROR
皇室のウソ、妄想を徹底検証 part2 - 暇つぶし2ch837:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/23 13:53:03 nj1PHrJe
>>836 皇太子妃になりたくてなりたくて仕方がなかったら以下の経緯は
ないと思う。

1992年10月 3日 再び東宮職内舎人の自家用軽ワゴン車により、
        新浜鴨場で二度目のデート
      「私と結婚していただけますか」
        「お断りする結果になってもよろしいでしょうか」

1992年10月下旬 雅子氏「自信がないので」と断る

1992年10月21日の夜陛下から入江相政の長男、入江為年氏のもとに以下の電話が入る

 「いま、妃の候補者が三人います。三人いるのだけれど、浩宮としては、どう
しても、小和田雅子さんといって譲らないのです。私としても、本人の意思を
一番に尊重しなければと思っているし、美智子皇后もその点についてはまった
く同意見だから、浩宮が望んでいることを考えた場合、小和田雅子さんが皇籍、
皇族の籍に入ってくれることが一番の願いです。
ただ、問題なのは、小和田さんに承知させるだけのものが、どうも手元にない
ことです。また、反対する者も少なくありません。だから、何か小和田さんに
承知させる手立てを考えてはくれませんか」

陛下の要請後、知り合いの外務省に強いコネのある友人に頼み
外務省から小和田氏の説得を試みる。

「外務省の意思がまとまった11月中旬の時点で、大勢は、ほぼ決まったという。
また小和田雅子側も、外務省という組織の中では、女性はうまくいっても課長
よくいって局長どまりかもしれないと思い始めたのではないかと軟化の理由を
為年氏は推測している」

そして

1992年12月12日、小和田雅子はプロポーズを受諾。
翌1月19日に皇室会議と日程が決まった。


結婚は双方承諾して決まるものだから、雅子さんが無理やり入内したということは
ないでしょう。美智子さんもかつて同様の経緯で結婚されました。
小和田家が外務省筋から説得を受けたと同様に
正田家を説得したのは小泉信三氏という今上の教育係もつとめた慶応の学長でした。

お二人とも無理やりでもいきたくていきたくて、でもなく
いろんな事情を熟考して、周囲の励ましやお互いの信頼関係、
自然と芽生えた愛情から結婚を決意したんでしょう。


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