09/07/24 17:08:45 N4RO76g1
>>680
ではどういう概念が靖国神社設立時に存在していたのか、概念の内容とそれの存在の証明を
お願いしておきます。
少なくとも明治憲法下を通じての、GHQが定義するところの国家神道なる存在、及び天皇を神と
する思想(国体の本義が示すそれ)の存在は現代では常識的に否定されていますけど。
個人の問題は別に皆が好きにやればいいことだと思っています。
国家儀礼として、戦没者や戦争被害者に敬意を表しあるいは追悼することは必要なことです。
ねじれている原因は、神道以外の宗教が国軍の兵士について特別に扱っていないことです。
(アーリントンに一般人は埋葬できない)
神道のみが、世界常識たる国軍兵士への敬意・顕彰・慰霊鎮魂・追悼といったことをやっている。
従って、政教分離の原則から、国家が国軍兵士に敬意を表する場所がないという異常事態を引き
起こしているということです。戦争被害者と同列に扱うのは、非礼です。無論戦争被害者の中に兵
士を含めて慰霊するということは問題ありませんが、それですべて済んでしまうという感覚は
国軍兵士に対して非礼であるという意味です。多くの宗教がそういう世界常識に基づいて兵士に敬
意を表する一つとして、千四者への追悼などを行えばいいのですが…。
天皇に関しては、別にそれなりの儀礼を指摘宗教行為として行っておられると推測できますから
靖国に出向くことはなくともよいかと。