09/08/28 10:21:44 gvaSOO3v
>>689
もちろん正確な記録はないので、考古学的、言語学的事実からの想像となる。
言語学的事実としては、8世紀の時点で東国方言は畿内方言と文法や発音の面で
ある程度の方言差を既に持っており、分岐してから数世紀は経っていたと見られること、
琉球方言の分岐も明らかに8世紀以前で恐らく3世紀前後であること、
魏志倭人伝に登場する3世紀後半の北九州の地名や人名、役職名に後の日本語に繋がる特徴が見られることなどがある。
一般に狩猟採集段階の地域では系統も全く異なるような多数の言語が狭い範囲にひしめき合っている。
そして、農耕段階に入り定住が始まると、少数の有力な言語が勢力を得て拡大し、他の言語を消滅させる。
日本では縄文時代から弥生時代にかけて、このような日本祖語の拡大と他言語の消滅が起こったのだろう。
時期的には8世紀よりはもちろん前で、上記の事実より3世紀以前の可能性が高い。
そして日本祖語が有力になったのは、稲作文化を含む弥生文化の獲得が原因である可能性が高い。時期的にも符合する。
まあ、自分の方言を誇りに思うことは悪いことじゃないし、馬鹿にされて反発したくなるのも分かるけど、
それで相手の方言を馬鹿にしだすようじゃあ相手と同レベルに落ちてるよ。