09/04/19 19:48:42 L8InudWa
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1925年発行の『文芸春秋』に載った最初のエッセイ「阪神見聞録」で、谷崎は強いカルチャーショックを感じたことを明かしている。
「大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便をさせる人種である、―と、かう云ったらば東京人は驚くだろうが、これは嘘でも何でもない。事実私はさう云う光景を二度も見ている」。
さらに彼は筆を進めて、他のとんでもない状景を描く。
生後一年位の乳飲み子を面白半分で汽車の網棚に置く若夫婦、大阪の乗客たちの多くは他の乗客に席を空けようとせず、わざと自分の横に荷物を置いたりもすると。
東京人に較べると大阪の市民たちは全く公徳心に欠けると言えないかと彼は大袈裟に問い掛ける。
「私はいつぞや上方の食ひ物のことを書いたから、今度は人間のことを書いてみた。が、斯して見ると、人間の方はどうも食ひ物ほど上等ではないようである」。
中略
大宅と溝口が、折角の"多元的文化国家"への可能性を卑小化し、大阪・東京の二者択一的文化競争を大袈裟に言いふらし、首都に荷担する道を選んでいた一方、あの影響力の大きなオピニオンリーダー、谷崎はその考えを変えていた。
上方地方に対して(特に大阪に)公然と反感を表明した自分の過去の誤りを認めたのである。
かつて大阪人の公徳心の欠如を鋭く衝いた辛らつな批評家が、1932年、『中央公論』に載せた「私の見た大阪および大阪人」で前言を撤回、
自分の江戸っ子としての欠点を白状した上で、東京人が大阪を貶すのは大阪に欠点があると云うより、自分達の都市(metropolis)が首都という大都会に相応しい力を持っていないのでないかとの不安から出ていると書く。
谷崎は言う。
実際には関東よりも関西の方がより日本的であり、真に日本精神を体現しているのは大阪人ではないのか、よく議論してみる必要があると。
かつて関西での自分を他所者と書いた谷崎は、今や大阪を第2の故郷と宣言し、自分がこれまで江戸っ子の排他主義に侵されていた事を認め、東京に叛旗を翻すことで贖罪を図る。
かつて大阪人の下品な行動を書き立て、自分が生粋の東京人であることを演じた彼は、今度は東京人の独善性を吹き飛ばす狙いで、大阪人の積極的生き方の諸相を描き、大阪の緊密な近隣関係は、東京の無秩序に広がり薄まるそれと違い、真の地域共同体の意を体している。
あの新聞を交換しあう習慣も、単にケチなのではなく、合理的、効率的かつ平等主義を表すものだ。
往々にして悪く言われる大阪の知識階級は、東京の生気のない同類とは較べようもない程、雄雄しく進歩的である、等々。