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そして明治時代最大の資金源となった横浜からの生糸貿易、ほぼ全員が関東・甲州勢に
よっておこなわれた。とりわけ生糸売込商として輸出産業を席巻した横浜第二国立銀行頭取の
原善三郎は、武田信玄の弟・武田信実の直系子孫として埼玉県武州児玉党を組織した一族で
あった。横浜開港の裏では、甲州山中から続々と金満家が名乗りを上げて、やがて首都東京の
鉄道と電力事業から水道、電車、ガスまで、およそ公共事業のほとんどに触手を伸ばして
なめつくしていく。
何人かの代表者をあげれば、以下の如くである。甲州財閥の始祖と呼ばれる若尾逸平は、
武田の残党、甲斐源氏の一族で、武田家の滅亡後に武士から土着して農民になり、さらに
大商人として名乗りを上げた立志伝中の人物。しかも若尾家は、武田信玄の後裔と婚姻関係を
結んでいた。逸平は甲府で製糸業を始めたが、横浜が開港されるとただちに蚕の輸出と、
砂糖と綿糸の輸入に腕を振るいながら、横浜正金銀行、東京馬車鉄道、東京電灯会社
(現東京電力)などの経営を動かし、東京を支配してゆくのである。逸平の弟・若尾幾造が
また、横浜の外交商館に生糸を売り込んだ五大輸出商として幕末から維新にかけて商業界の
覇者となり、横浜の大地主として君臨した。若尾一族の設立した若尾銀行が山梨中央銀行の
大きな資金柱となったのだから、掛け値なしに、武田信玄の遺産がそのまま現代に生きている。