09/05/09 01:21:45 Wh5pZLbo
URLリンク(mkcr.jp)
大宅と溝口が、折角の"多元的文化国家"への可能性を卑小化し、大阪・東京の二
者択一的文化競争を大袈裟に言いふらし、首都に荷担する道を選んでいた一方、あの
影響力の大きなオピニオンリーダー、谷崎はその考えを変えていた。上方地方に対し
て(特に大阪に)公然と反感を表明した自分の過去の誤りを認めたのである。かつて大
阪人の公徳心の欠如を鋭く衝いた辛らつな批評家が、1932年、『中央公論』に載せた
「私の見た大阪および大阪人」で前言を撤回、自分の江戸っ子としての欠点を白状した
上で、東京人が大阪を貶すのは大阪に欠点があると云うより、自分達の都市
(metropolis)が首都という大都会に相応しい力を持っていないのでないかとの不安か
ら出ていると書く。谷崎は言う。実際には関東よりも関西の方がより日本的であり、真
に日本精神を体現しているのは大阪人ではないのか、よく議論してみる必要があると。