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(Photo by Suhaimi Abdullah/Getty Images)
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難民となったロヒンギャ (Photo by Ulet Ifansasti/Getty Images)
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政権を揺さぶる最大の懸案はロヒンギャ問題の深刻化である。
全人口の9割を仏教徒が占めるミャンマーでは、西部のラカイン州におけるイスラム教徒であるロヒンギャに対する激しい差別が問題となっている。この問題は、昨年10月、武装勢力が警察施設や国軍部隊を襲撃したことを受け、ミャンマー政府がこの襲撃をロヒンギャ関係者によるものと認定し、国軍が大規模掃討作戦に乗り出したことにより、かつてなく深刻な局面に突入した。
国軍の掃討活動は熾烈を極め、国連によれば、少なくとも80人が死亡し、6万5,000人ものロヒンギャがバングラデシュに逃亡。難民となったロヒンギャは、国軍による組織的な暴力とレイプを証言し、大量虐殺、「民族浄化」の疑惑が浮上した。
これに対し、ミャンマー政府は虐殺の疑惑を否定。政府が新設した調査委員会も人権侵害を認める証拠はないと発表した。スーチー氏も、虐殺の疑惑を繰り返し否定し、外交団やメディアに対して、ミャンマーに対する批判は公平を欠くと非難している。
スーチー氏の対応の背景には、多数派である仏教徒への配慮がある。かつてスーチー氏は、2012年にラカイン州の多数派であるラカインとロヒンギャとの間で大規模な衝突が起こった際、「宗教や民族にかかわらず、みんなが仲良くして欲しい」と呼びかけたが、これがイスラム寄りの発言とみなされ、ラカインからの反発を呼ぶことになった。
2015年の総選挙でも、仏教徒団体がNLDに対するネガティブ・キャンペーンを展開した。こうした多数派仏教徒からの反発を憂慮し、スーチー氏はロヒンギャ問題に対して発言を控えるようになった。
さらに、国軍との関係への配慮がある。ミャンマーの国軍は、内相、国境問題相、国防相の3閣僚を国軍司令官が指名するため、その活動は、政権の実質的なトップであるスーチー氏すら十分に制御することはできない。国軍との緊張を回避するためにも、虐殺を認めることは困難である。
■イスラム教徒の法律顧問の射殺
宗教と民族をめぐる対立が深まる中で、新たに発生したのがイスラム教徒の弁護士の射殺事件である。1月29日、NLDの法律顧問であるコー・ニー氏がヤンゴンの空港で日中に射殺された。
コー・ニー氏は、ミャンマーの法曹界を代表する著名な弁護士であり、NLDにおいても、憲法の専門家として、スーチー氏が就任する「国家顧問」の新設について助言し、憲法改正案を検討するなど中心的な役割を担ってきた。イスラム教徒の論客としても有名であり、ロヒンギャの権利保護についても堂々と主張。2015年の総選挙においてNLDがイスラム教徒の候補者を立てなかったことに対しても批判しており、ミャンマーのイスラム教徒の中で数少ない政治的影響力をもつ知識人だったといえる。
政治関係者が暗殺されるのは、ミャンマーでは極めてまれであり、事件は大きな衝撃を与えた。殺害の真相はいまだ不明であるが、コー・ニー氏が憲法改正において中心的役割を果たしていたこと、イスラム教徒の論客であり、過激派仏教徒から脅迫を受けていたことから、政治的ないし宗教的な動機があったことが推測されている。
ミャンマーが国民融和を実現する上で避けて通れない重要課題は、少数民族武装勢力との和平である。NLD政権は、選挙戦中の公約として少数民族武装勢力との和平を第一に掲げており、政権が発足した後もスーチー氏が主導して和平交渉を進めてきた。
ミャンマーには約20の少数民族武装組織が存在し、前政権はそのうち8の武装組織との間で停戦協定に署名したが、新政権はすべての武装組織との和平の追求を宣言。昨年8月には17の武装組織の参加を得て「21世紀版パンロン会議」という和平会議を開催した。しかし、カチン州とシャン州では戦闘が継続しており、これらの地域で政府と衝突している有力な武装組織は会議に参加しなかった。
少数民族和平の鍵を握るのは、一部の有力武装組織に対して強い影響力をもつ中国である。スーチー氏は昨年8月、パンロン会議の開催前に中国を訪問し、習近平国家主席や李克強首相と会談したが、そのタイミングに合わせて、シャン州の武装組織が突然に停戦を宣言、パンロン会議への参加を表明した。
文=石井順也(住友商事グローバルリサーチ国際部シニアアナリスト、弁護士)
以下ソース
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