16/12/31 15:12:17.54 CAP_USER9.net
「親が亡くなれば私もどうしようもなく死ぬでしょう」
「働くことは“不可能なこと”としてある」
ひきこもりの人や、ひきこもり経験のある人たちが、11月、新聞を創刊しました。
長らく社会との関わりを断ってきた人たちが、なぜ外に向けて発信を始めたのか?
今、ひきこもりの人たちをめぐる課題に向き合おうとする当事者たちの姿を取材しました。
■ひきこもり新聞 なぜ発刊
「年末年始は、エネミー(敵)がやってくる」
「甥っ子、姪っ子にお年玉を上げるのを、うまく逃れる方法はないか」
先月創刊した、ひきこもり新聞の編集会議での話し合いの様子です。
なんだか軽い話をしているようですが、編集に関わる人たち全員が、ひきこもりの当事者か経験者です。
編集長の自宅を兼ねたアパートの一室が新聞の編集部。
この日開かれた会議には16人が集まっていました。
年齢は20代から50代まで、女性も数人いました。
関東一円から、さらには仙台から来た人もいました。
編集長の木村直弘さん(32)もひきこもりの経験があります。
大学受験に失敗して自宅で浪人していたころ、最初のひきこもりが始まりました。
大学では、ゼミの同級生などと普通につきあえる状態でしたが、卒業後、弁護士を目指し司法試験の勉強するうちに、再びひきこもりがちになったといます。
思うように勉強の成果が出ず、もんもんとする日々の中、両親からは、毎日のように「お前には弁護士なんて無理だ。早く就職しろ」と言われ続けました。
その後も、ひきこもりの状態が続いていましたが、