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宗教学研究者の大澤広嗣さん=棚部秀行撮影
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■文化工作、国策に加担
先の戦争に日本の仏教はどのように関わっていったのか。文化庁宗務課の専門職に就く宗教学研究者、大澤広嗣さん(40)が、特に南方、東南アジアでの仏教界の活動に注目し、研究成果を『戦時下の日本仏教と南方地域』(法蔵館)にまとめた。当時の日本政府の施策からひもとき、宗教が戦争に加担していく姿を明らかにしている。【棚部秀行】
「仏教学では近代は重要な研究対象ではありませんでした。特定宗派の仏教者が、戦争協力を道徳的に批判した研究はあったものの、結論ありきで物足りない。戦後70年以上が過ぎ、ようやく実証的に戦争と仏教を論じる時期が来たと考えています」
なかでも、戦時中の日本仏教と東南アジアについては先行研究がなかった。同地域が手薄だったのは、「日本の仏教学界が、インド-中国-日本の三国史観で、他の地域は傍流だと考えられてきたからです」と説明した。
日清戦争以降、植民地支配した東アジア地域には多くの日本人が移住した。仏教の各宗派も現地に進出、布教活動を行った。昭和に入り「大東亜共栄圏」建設を掲げ、東南アジアに占領地が拡大するなかで、政府は連合組織の財団法人大日本仏教会を通して、仏教への統制を強めた。
「大日本仏教会が政府と宗派のパイプ役を担い、国策に協力した。会が各宗派の人材や資金をとりまとめ、学僧や仏教者を東南アジアに派遣して調査、工作活動を行うようになります」
大澤さんは国の政策や制度の変遷にこだわる。7年前から文化庁に勤務していることが大きな転機になったという。「国の施策や法令が重要だと気付きました。今は政教分離ですが、当時の国や文部省は強い権限を持ち、宗教団体を動員できた」
仏教界は布教よりも、日本軍進出の足がかりとなる現地宗教の調査や、知識人・高僧への宣伝・文化工作に徹した。上座仏教の信仰が支配的な地域では、同じ仏教とはいえ、布教活動は難しいという知見もあった。同時に「アジアの盟主」として、日本の大乗仏教の優位性を示そうという意図もあったという。
同書第2部からは、具体的な活動事例を報告している。ビルマで上座仏教式の黄衣をまとい宣伝活動する僧侶、ベトナムに仏教留学するも敗戦で失踪した学僧……。平安時代にインドへの途上で亡くなった真如親王の物故地をシンガポールとし、同地で顕彰活動も展開した。それら詳細な記述は膨大な資料によって裏打ちされている。
刊行まで10年をかけた労作を貫く姿勢は、ひたすら「資料に語らせる」ことだ。足を使ってお寺を巡り、処分寸前の文書に行き会ったこともある。だが、当時の仏教界を批判、糾弾するわけでもない。分析はあっても、内容の是非についての判断や、直接的な反戦非戦のメッセージはできるだけ排除するように努めた。「いまけしからんというのは簡単ですが、どう関わらざるを得なかったのか書きたかった」
戦争体験者の証言を直接聞くことが年々難しくなるなか、近現代を扱う研究者の役割が大きくなっていくと強調する。「研究者が過去のことをきちんと調べて、社会に還元する作業が大事になってくる。今の世の中と次の世代をつなぐ存在になると思う」。さらに宗教を研究する現代的意味をこうも語った。「人々の文化や思想、行動の背景には宗教があります。戦時中は統治のためでしたが、今は平和目的、世界を理解するため、研究はますます重要になっています」
>>2に続く。