16/06/21 01:32:07.17 CAP_USER9.net
かつて米国の大学は奴隷売買に手を染めていた(写真はイメージ)
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南部ルイジアナ州のバトンルージュに住むマキシン・クランプ(69)は、地元のテレビでは初の黒人司会者として活躍した女性だ。
2016年2月、マキシンにかかってきた1本の電話は、驚くべき知らせをもたらした。
「あなたの高祖父(祖父母の祖父)が判明しました。彼の名はコーネリアス。あなたの町のすぐ近くの農場で奴隷として働いていました」
コーネリアスという名には馴染みがあった。
マキシンの一族にはコーネリアスと名づけられた者が何人かおり、先祖から受け継いだ名であることは分かっていた。
だが家系の情報は途切れており、どれほど調べても先祖のコーネリアスに行きつくことができずにいた。
「なんということかしら! ああ神さま・・・」
思いがけない知らせに感激したマキシンは、話の続きを聞いて強い衝撃を受けた。
高祖父コーネリアスがルイジアナに来たのは、ある大学が行った奴隷売買によるものだったというのだ。
大学の奴隷所有が当たり前だった時代
1838年の秋、首都ワシントンの河港にはルイジアナ行きの船に積み込まれる黒人奴隷の姿があった。
272人の男女のなかには生後2カ月の子を抱いた母親や妊婦、親と引き離されて泣き叫ぶ子供もいたとNYタイムズ紙