【社会】創価学会はなぜ社会から嫌われるのか…★2at NEWSPLUS
【社会】創価学会はなぜ社会から嫌われるのか…★2 - 暇つぶし2ch1:いちごパンツちゃん ★
16/04/12 13:16:37.66 CAP_USER*.net
「創価学会はなぜ嫌われるのか」というのが、本稿のタイトルである。
そこでは、創価学会が嫌われているということが前提になっている。確かに、世の中には創価学会のことを嫌う人たちがいる。
忌み嫌い、創価学会などなくなってしまえばいいと考えている人がいることは事実だ。
しかし、そうした創価学会に対する嫌悪感は、昔に比べればはるかに弱くなっているようにも思われる。
3年ほど前の秋のことである。私は講演をするために、広島県の三次(みよし)市を訪れた。
そのときは、最近の葬儀のあり方について地元の浄土真宗の人たちに話をしたのだが、
送り迎えをしてくれた僧侶の人から興味深い話を聞いた。
昔は、創価学会といえば、地元で嫌われる存在だった。
ところが最近では、学会の会員たちをいい人たちと言う人が増えているというのである。
浄土真宗の場合、日本の仏教宗派の中でも信仰に対して特に自覚的で、しかも、社会の支配階層ではなく、
一般民衆に基盤を置いているため、創価学会とは対立する関係になり、創価学会批判にも積極的だった。
攻撃的でなくなった創価学会の勧誘
ところが最近の創価学会の会員は、昔とは異なり、地域に溶け込もうとして、
ほかの人たちが嫌がるPTAや町内会の役員などを積極的に引き受けてくれる。
しかも、地域のために活動する代わりに布教活動をやったりはしない。
だから地域の人たちも、創価学会の会員たちはいい人たちだと認識するようになってきているというのである。
広島は、「安芸門徒」という言葉があるように、伝統的に浄土真宗の信仰が強い地域である。
にもかかわらず、住民の間で、創価学会に対する好き嫌いの気持ちが変わったことは大きい。
おそらくそれはほかの地域でも起こっていることだろう。その点では、創価学会は嫌われなくなった。
あるいは、正確にいえば昔ほど嫌われなくなっているのである。
昔の創価学会は、現在とは比べられないほど攻撃的な姿勢を示していた。
布教活動は「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれ、相手を論破して、無理やり信仰を押し付けるというやり方が取られた。
家に地域の創価学会の会員が幾人も押しかけてきて、延々と折伏が続くようなこともあった。
それは、家庭だけではなく、ほかの宗教や宗派の宗教施設にも及んだ。
キリスト教の教会に学会員がやってきて、イエス・キリストが復活するなど非科学的で、
キリスト教の信仰は間違っていると議論を吹っかけてきたのである。
それまでの日本の新宗教(明治以後に成立した宗教)は、人が何か不幸や悩みに直面したとき、
当人が自分の考え方を変えて、それを介して相手の気持ちも変えようというやり方を取っていた。
ところが創価学会には、そうした面はまったく見られなかった。
何か問題が起きても、その解決策は相手を折伏することにあり、自分を反省する様子などみじんも見せなかった。
子どもたちの場合にも、当時の創価学会が密接な関係を持っていた日蓮宗の一派・日蓮正宗が、
ほかの宗教や宗派の信仰をいっさい認めないという姿勢を取ったため、創価学会の家庭の子女は、修学旅行に行っても、
神社の鳥居さえくぐらなかった。いくら言っても、それは「謗法(ほうぼう)」(間違った信仰)だと言って取り合わない。
そうした信仰上のかたくなさも、創価学会が嫌われる原因だった。
もっともそこには、日本人一般の宗教観も影響していた。日本人は、多くが自分は無宗教だと考えているが、
神社に行けば鳥居をくぐって参拝し、死ねば仏教式で葬儀を挙げる。そうしたやり方をするのが世間の常識だと考えていて、
それに抵抗する人間は偏屈で間違っていると考え、時にはそれを攻撃する。
無宗教を標榜する一般の日本人と創価学会の会員との対立も、その点では、異なる宗教観に基づくものであり、
そこでは小さな「宗教戦争」が起こっていたと見ることができる。創価学会の会員が嫌われるような態度を取ったということもあるが、
一般の日本人が、一定の信仰を持ちつつ、それに無自覚だったことも、対立を激化することに結び付いた。
以下ソース
URLリンク(news.infoseek.co.jp)
2016/04/12(火) 11:37:40.63
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