16/04/01 15:23:53.65 CAP_USER*.net
韓国任天堂が全社員の80%に達する人員を対象に希望退職を募るなど強力なリストラに着手した。70人余りだった役員は、希望退職が完了する4月1日からは10人余りに減る。任天堂のグローバル実績悪化が持続しながら韓国支社もリストラを避けられなくなったのだ。
一時は「ゲーム王国」「開発者の天国」と呼ばれた任天堂は、既存の主力事業に過度に執着したために市場の変化を把握し間違えて没落した経営失敗の代表事例の1つに挙げられる。
◆6年で売り上げ70%消えた
2012年4月、「スーパーマリオの父」として有名な宮本茂・任天堂専務が訪韓した際に記者たちはスマートフォンのゲーム開発計画について集中的に質問した。宮本専務は「私たちは世の中にないものを出したし、今でもスマートフォンにないものを開発している」として「スマートフォンのゲーム発売は全く計画がない」と答えた。2009年は1兆8386億円(約19兆ウォン)に達していた売り上げが、2010年に1兆4343億円、2011年には1兆143億円に落ちるなどすでに市場では任天堂危機説が広まっていた頃だった。
当時は「時代錯誤的な判断」「理由のある固執」などの評価が交錯したが、結局は時代を読み誤った決定だということが確認されるまでには長い時間がかからなかった。2012年の任天堂の売り上げは6477億円にとどまり、1710億円(2011年)だった営業利益は翌年373億円の赤字に転じた。2015年の任天堂の売り上げは5498億円に過ぎなかった。2009年以降6年で売り上げが70%減少したのだ。
韓国任天堂の事情も同じだ。2011年から売り上げが大幅に減りながら赤字から脱却できなかった。2011年に1220億ウォンだった売り上げは2014年、450億ウォンで3分の1レベルに落ちた。2011年に49億ウォンだった営業損失も翌年の2012年には248億ウォンに拡大し、2013年と2014年にもそれぞれ107億ウォンと19億ウォンの営業赤字を出した。
◆コンソールゲームの栄光に執着
世界的なゲーム企業だった任天堂がこのように転落したのは、モバイルという時代的流れにまともについて行けなかったことが最も大きな理由として挙げられる。任天堂は1889年、京都で花札を製作する会社として出発して玩具の製造を経て1980年代に入り世界のゲーム市場の最強者として飛躍した。1983年に家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」を出しながらコンソールゲーム機の普及を主導した。任天堂のゲーム「スーパーマリオブラザーズ」は世界で最も多く売れたゲームとしてギネスブックに登録されている。2009年グローバル金融危機にもかかわらず売り上げ1兆8386億円、営業利益5552億円と史上最高の実績を達成した。李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長が2009年4月に任天堂本社を訪問して任天堂の創造経営を学んだほど任天堂は韓国企業がベンチマーキングしたい日本企業1位に挙げられた。
だが2010年からアップルのiPhoneやサムスンのギャラクシーなどスマートフォンが広がりながら任天堂の墜落が表面化した。かつてのコンソールゲームの栄光から抜け出せなかった任天堂はモバイルゲームの熱風にはまともに対応できなかった。「ちょっとした居眠りが危機をもたらした」という分析だ。ウィ・ジョンヒョン中央(チュンアン)大学経営学科教授は「スマートフォンはゲーム機になれないという誤った判断で自分たちの競争相手ではないと考えるなど、市場の変化を読めなかったことが最も大きな敗因だ」と話した。
◆一歩遅れたモバイルゲーム投資
任天堂は一歩遅れてモバイルゲーム市場に参入した。17日に発売された「Miitomo(ミートモ)」は、任天堂がモバイルゲーム専門企業であるDeNAと共同開発した初めてのモバイルゲームだ。発売3日で100万人を突破するなど初期反応は良いが、依然として自社ゲーム機に注力する任天堂が突破口をつくるのは容易ではないという分析が優勢だ。ウィ教授は「軽いゲームを楽しむ人々が任天堂のこれまでの主力顧客だが、スマートフォンゲームが広がりながら顧客をほとんど奪われた」として「いまだにコンソールゲームに会社の力量の大部分が投入されている構造では、実績の転換は容易ではないように思われる」と話した。
韓国経済新聞/中央日報日本語版 2016年03月31日11時53分
URLリンク(japanese.joins.com)
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