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◆防げなかった死、自問
昨年五月九日、愛知県豊田市内の河川敷で、独り暮らしだった斉藤雅夫さん=仮名、当時(74)=が自ら命を絶った。
一報は警察から豊田市役所に届いた。二週間ほど前、家賃を滞納していた市営住宅を強制退去になっていたからだ。「ショックだった」。市生活福祉課で生活保護を担当し、斉藤さんと何度も接していた中野将さん(42)は振り返る。
市営住宅に住み始めたのは二〇〇一年七月、それまでの住居を火災で失ってからだ。家賃は前年の収入によって変わり、三千二百~八千円。民間のアパートに比べれば安いが、支払いがたびたび滞った。市は一四年一月、督促しても応じないとして、滞納していた二十六カ月分、計二十万六千四百円の支払いと、部屋の明け渡しを求める訴訟を起こした。
当時、斉藤さんは裁判所に手書きの陳述書を提出している。
「一括納入して明け渡せということは私にしては死ねということと同じです。生活保護より少ない年金で今となっては一括納入は到底できません」
でも主張は通じず、同年五月の判決は市の訴えを全面的に認めた。
斉藤さんは年百万円に満たない年金で暮らしていた。判決後に面談した中野さんは、生活保護を受けてアパートで暮らすよう提案した。だが、斉藤さんはかたくなに拒んだ。十三年以上暮らした部屋を追い出されるとの思いが強く、二度と市役所を信用することができなかったのかもしれない。
ぜいたくをしていた形跡はない。中野さんには「月に五万円で生活している」と話していた。部屋を訪ねたことがある市地域福祉課主査の江崎崇さん(31)は「机の上の書類は角をそろえて重ね、服は畳んで押し入れにしまってあった。とにかくきちょうめんだな、と思った」と語る。
中野さんも江崎さんも強制退去の当日、昨年四月二十三日まで斉藤さんの説得を続けた。一時保護できる施設があることを伝えたが「おまえらの手は借りん」。そして、「公園や河川敷で野宿する」と言い残し、自転車で消えた。連絡用の携帯電話で安否確認をしながら話をし、一度は生活保護に前向きになってくれた。でも、退去から十六日後が斉藤さんの命日になった。
同じ市営住宅の住民は斉藤さんを覚えている。近所付き合いはほとんどなく、孤立していたという。本人は生活に困っていることを自分の口からは言わず、豊田市も明け渡しが決まるまで保護に動かなかった。
国土交通省によると、全国の公営住宅は一四年三月現在で約二百十六万戸。うち、部屋の名義人に占める六十五歳以上の割合は47・8%で、〇四年三月の31・9%から急増した。家賃の滞納が長引くケースも多く、同省は督促の早期実施などを都道府県などに指示している。豊田市は昨年四月から、法的措置への移行を滞納十二カ月以上から六カ月以上に短縮した。
斉藤さんがなぜ死を選んだのかは分からない。ただ、隠れた困窮にどう向き合うべきだったのか、職員たちは今も自分に問いかける。
「強制退去になる前に何をしていれば、違う結果になったのだろうか」
=終わり
中日新聞 2016年3月8日
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