【国内】セブンーイレブンに「店奪われた」と、最古参オーナー ★3at NEWSPLUS
【国内】セブンーイレブンに「店奪われた」と、最古参オーナー ★3 - 暇つぶし2ch1:砂漠のマスカレード ★
15/11/19 16:26:10.41 *.net
朝霞栄町店廃止の裏側(上)
セブンーイレブン・ジャパンのドミナント(一定地域への集中出店)戦略で、31年も経営してきた黒字店の経営権を奪われ、潰されたと訴える老夫婦の証言が、
全国のセブンーイレブン加盟店主(オーナー)の間に波紋を広げている。
証言者は、埼玉・朝霞市に「セブンーイレブン朝霞栄町店」を開業していた澤田八郎(87歳)さん、妻・清子(79歳)さんだ。
耳が遠い夫にかわって清子さんがコトの顛末を打ち明ける。
「一生懸命やってきて、娘夫婦の跡継ぎができたと大喜びしていたら、(セブンーイレブン・ジャパンは)その娘夫婦と組んで、
私たちにはぜんぜん相談しないで、近くにドミナント(新規出店)して、ウチの店を閉め、娘夫婦を広い新型店に移してしまったのですよ」
コンビニ加盟店主の労働組合であるコンビニ加盟店ユニオンが澤田夫妻にインタビューしたビデオを流したら大反響を呼んだ。
ユニオンでは、加盟店主(オーナー)の労働者性を審議している中央労働委員会で、澤田夫妻が受けた被害の実態を証言してもらうことも検討している。
澤田夫妻は、セブンーイレブンがまだ500店程度にすぎなかった1978年6月に開業した最古参オーナーだ。
米軍基地に勤めていた八郎さんが、アメリカで陶芸修行していたとき、深夜雑貨店が繁盛していた。それがセブンーイレブンだった。
帰国後、「この商売は誰もやってないから儲かる」と目をつけ、小学校教員の清子と一緒に東武東上線の朝霞駅近くに土地を見つけ、
当時、2500万円も投じて土地・店舗を自分で作り、朝霞栄町店を開業した。
自分で店を作る出店方法をAタイプというが、酒店などからの転業が中心の当時としてはめずらしい脱サラ組みだった。
清子さんは言う、「私たちはこの辺にコンビニがないとき始めたのです。最初は大変苦労して、本部のために店を作ってやったのですよ。
レジなんか(POSのない時代で)手打ちでバチバチやっていた。
商品の発注だって『あんぱん何個、メロンパン何個』って、全部、電話でやるし、品物は大きい段ボール箱に36個とかきて、手で値段を一つひとつ付けて。
売上金も毎日、クルマで銀行まで行って振り込んでいたのです、遅れたらすぐ本部が怒ってくるから。昔はものすごく大変でしたよ」
清子さんは、高知県出身で両親とも教育者(父親は校長で将来の県教育長を嘱望されていたが早世)で厳格な家庭に育ち、社交的で責任感も強い。
開業当初は、朝、小学校に車で出勤し、夕方帰宅後、店に立つという二重生活で支えた。
毎日、目の廻るような忙しさで、母親の葬儀には帰省できたが、祖父母やオジ・オバ、親戚の葬儀にはいっさい出席できなかった。
一般的なコンビにでは看板商品のタバコも酒も置いていなかったが、31年、ずっと黒字で2回契約更新した。
それでインセンティブ(年が経つにつれて本部へ払うロイヤリティの売上総利益に対する比率であるチャージ率を下げられる権利)がつき、
チャージ率は開店当初の45%から35%まで下がっていた。
だから、日販50万円台でも1000万円以上の年収があった。セブンーイレブン店オーナーとしては成功したケースだ。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
ニュースソクラ 11月16日(月)16時10分配信
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