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毎日新聞 2015年10月04日 12時30分(最終更新 10月04日 17時03分)
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※石田三成が陣を構えた笹尾山から見た関ケ原古戦場=関ケ原町で
天下分け目の合戦が繰り広げられた「関ケ原古戦場」(岐阜県関ケ原町)の再整備が本格化している。4日にはJR関ケ原駅前に観光交流館が開所した。
歴史ファンのみならず高い知名度を誇る「第一級のブランド力」がありながら、観光面で生かし切れてこなかったとの思いが関係者には強い。合戦から420年を迎える2020年に向け、関ケ原は生まれ変われるのか。いざ出陣--。【岡正勝】
関ケ原の戦いで、西軍の石田三成が陣を構えた笹尾山。駐車場には他県ナンバーが目立つ。徳川家康の没後400年で、東京や京都、福岡で「大関ケ原展」が開催されたこともあって、古戦場への来訪客は今年、例年の3割増しという。
観光客はこれまで、必ずしも関ケ原古戦場に満足しているわけではなかった。県と町が観光客を対象に実施したアンケートでは「古戦場の雰囲気やイメージが希薄」「史跡の歴史的価値が十分に保全活用されていない」などの厳しい意見が寄せられていた。
「決戦地」では大きな碑はあるが、周囲は畑が広がるばかり。当時の情景を想起させる仕掛けはない。「徳川家康最後陣地」に至っては、すぐそばに壊れた噴水跡や集会所などがあるだけで、「良くも悪くも手つかずの状態」と県の担当者は苦笑いする。
こうした事態を打開しようと、県と関ケ原町は有識者懇談会を設け、再整備の基本構想を3月に策定した。交流人口拡大のチャンスともいえる20年の東海環状自動車道の全線開通を見据えたものだ。
その基本構想を具現化した最初の施設が4日にオープンする観光交流館だ。観光案内所に物販所、休憩所などがある。
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