【戦後70年】表現の自由が弾圧された当時の様子 終戦の年まであった法律「治安維持法」at NEWSPLUS
【戦後70年】表現の自由が弾圧された当時の様子 終戦の年まであった法律「治安維持法」 - 暇つぶし2ch1:オキヨ ★
15/08/20 18:33:15.85 *.net
戦後70年シリーズ企画「みんなで考える ニッポンはなぜ戦争をしたのか」。
大正14年(1925年)から、終戦の年まであった法律「治安維持法」。社会運動を取り締まるための法律ですが、次第に言論や思想の弾圧に用いられました。
そして、この法律による逮捕者は、数十万人といわれています。
この治安維持法に違反したとして逮捕され、1年半もの間、拘束された男性2人が、表現の自由が弾圧された当時の様子を語りました。
北海道教育大学・旭川校。
キャンパスを歩くのは、地元に暮らす菱谷良一さん(95)。
菱谷さんは「懐かしい道路。この先に、わたしのいた中央舎(寄宿舎)があった」と話した。
菱谷さんは、かつてここにあった、旭川師範学校の美術部の学生だった。
1940年(昭和15年)、菱谷さんが20歳の時に描いた油絵。
本を手に、学生が語り合う日常生活を描いたこの絵が、ある事件に発展する。
菱谷さんは「朝、まだ布団に入っている時に、変な男が『菱谷いないか?』って、そして逮捕状。そんなの見たことないでしょう?」と語った。
菱谷さんは、その様子をイラストに残していた。
寄宿舎に現れた特別高等警察の手には、逮捕状があった。
思想犯を取り締まる彼らは、この絵が、共産主義を啓もうすると判断した。
菱谷さんにとっては、寝耳に水だった。
菱谷さんは「これを見て、共産主義の絵だと思うかい? 学生時代の読書というのは、いつの時代でも(大切)でしょ。それの『何が悪いんだ』ということになる」と話した。
一方、北海道・音更町に住む、松本五郎さん(95)。
松本さんも、菱谷さんと同じ美術部に所属していた。
当時描いたのは、レコードを聴く学生たちの姿。
松本さんは「ただぼんやり聞くのではなく、中身を精査して、音楽を理解する。そうしなきゃ、本当の音楽を聴く態度じゃないよということを示唆している」と話した。
そんな思いで描いたこの絵も、学生たちが共産主義について話し合う様子と、解釈された。
結局、美術部の学生や教師など、26人が一斉に逮捕された。
事件の背景にあるのが、「治安維持法」。
もともとは、共産党員を取り締まるものだったが、次第に国民の思想・言論の弾圧に用いられた。
菱谷さんは「のっけに、『お前は共産主義を信奉して、共産主義運動をしたんだろう』って。『そんなことありません』と言ったら、『何を言うか!』と、ガンッと」と語った。
松本さんは「どの行為を見ても『赤い思想が入っている』と、とらえられるんですよ。違うと言っても、ぬかにくぎですよ」と語った。
後輩にあたる今の学生たちは。
大学3年生の男性は「なんだろう、想像がつきにくいですね、こじつけですね」と話した。
大学1年生の女性は「何が駄目なんですか? もう1回その時代に戻ったら、たまらないと思います」と話した。
そんな拘束生活の中で、菱谷さんが心を痛めたのは、警察署へやってくる母の姿だった。
菱谷さんは「菅笠をかぶって、手錠して、腰縄で。(その姿を母は見ていた?)見ている。どんな気持ちかと...」と語った。
家族との面会も許されなかったという。
拘束は、1年3カ月に及んだ。
裁判で2人に下ったのは、懲役1年6カ月、執行猶予3年という判決。
法律の身勝手な解釈で、市民を弾圧した当時の日本。
「ニッポンはなぜ戦争をしたのか?」を、2人にたずねた。
松本さんは「一度始めてしまったら、途中でやめることができなかったのではないか。『これは駄目なことだ』というのを、
しっかり考えられるよう、1人ひとりが成長しなければと思う」と話した。
菱谷さんは「あの時の日本政府・軍部は、狂気だったね。こういう世の中が再び来ないと断言はできないだろう。
生きているうちに、わたしの思いの丈を皆に訴える、これがわたしの生きている最後のお務めではないか」と話した。
同じ過ちが繰り返されないために。
治安維持法の怖さを知る2人は、訴え続ける
URLリンク(www.fnn-news.com)


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