15/07/19 23:45:54.11 *.net
異様な安保法制反対デモ、「笑劇の現場」
安全保障関連法案が衆議院の特別委員会で採決された15日(水曜日)、同本会議を通過した16日、国会議事堂周辺では早朝から、法案に反対するグループのメンバーらが集まり声を上げていた。
筆者はこの近くの共有オフィスを仕事場にしているため晴れの15日は午後1時ごろ、曇りの16日は午後4時ごろ、近辺を通った。奇妙で異様な雰囲気だった。
新聞では、「日本の将来を憂う」「正義感に満ちた純粋な」「普通の市民」が議事堂周辺に来て、デモを行ったという趣旨の、好意的な報道をしていた。筆者はテレビをみないが、そこでもそうだったらしい。
はっきり言うが、その描写は嘘だ。デモはそんな「かっこいい」雰囲気ではなかった。
形容できる言葉を並べると「老い」「とげとげしさ」「政治団体の強い影響」「奇妙な人々による」という異様な雰囲気のデモだった。
デモ参加の人々は国会周辺を議事堂の裏手にある議員会館前、そして正面の緑地に誘導されていた。警視庁機動隊は、注意を受けているためか、物腰は丁寧で警備慣れしていた。
メディアでは映されないが、組合ののぼりが立ち並んでいる。参加者の大半は、自発的に集まったのではなく、組織に動員されていた。「写真2」は日教組の各組織が集まった場所だった。
平日から公務員が仕事をせずに、政治活動をしている。「写真3」は労働組合の「連合」の抗議だ。組合のすることは安保ではないはずだ。この組織はいったいなんのために存在しているのか。
写真2と3の現場の周辺の人は、60才前後に見えたが、これでも若い方だ。参加者は高齢者ばかりだった。全共闘の「敗残兵」であろうか。
15日は晴れで最高気温は都心で35度、16日は曇りでも30度になっていた。平均年齢は70-75才前後で、暑さでへたばっていた。
健康を害するのは自己責任だが、視覚障がい者用のプレートや公道の上に座り込んでいた。その姿はマナー違反であり、とても見苦しい。
筆者は東アジア儒教文化圏に属する日本人として、高齢者への敬意を常に抱くが、この人々に「老醜」という言葉を使いたくなった。
デモでは、なぜか警察官に、どなりちらす高齢者、参加者が常にいる。平和を訴える人たちのデモは、攻撃的でとげとげしかった。警察官の対応は、見る限りにおいて、中立だった。
15日に警察官の胸ぐらをつかみ、公務執行妨害で2名が逮捕された。そのうち60才代の男は中核派の活動家だった。
そして、中にはぶつぶつと独り言を言って歩いているとか、奇妙な格好をして演説をしている人とかも、道路にそって20メートルに一人ほどいた。
ゴテゴテとおかしな表示をした車で乗り付け、拡声器で騒いでいる人もいた。はっきり言うと、気味が悪い。(中略)
■バイアスのかかった報道と政治活動
こうして現実のデモの奇妙さ、異様さを目にして、筆者はメディアに流れる安保法制をめぐる情報が、偏向していることを確認した。
そして安保法制をめぐる無駄な政治騒擾が、あほくさく、むなしくなった。くだらない騒ぎに、くだらない政治家が乗っかっているのだ。
もちろん、筆者の見た情景は一部だろうが、とても「怪しい」人々が集まっている。もし疑問に思ったら、こうしたデモを見に行けばいい。筆者が描写をたいして誇張していないことが分かるだろう。
こうした騒擾への対応に無駄なエネルギーを、政府も私たち「普通の」市民も、割くことはばかばかしい。
池田信夫氏が、60年安保と今回のデモを比較し、「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」とマルクスの言葉を引用して、デモの光景を皮肉った。(記事「安保法制反対デモの笑劇」)
このデモは、たしかに奇妙で滑稽な「笑劇」だった。現実を目にした筆者もデモを笑った。しかし、その笑いでは軽蔑を込めた「冷笑」しか浮かばなかった。
共感などかけらも感じられなかった。「戦争法案反対」と叫んでいたが、そもそもそんな法案はないのだから。
たしかに今回審議の進む安保法制には、憲法との整合性を含めて多くの問題があるだろう。
しかし過剰に反対を主張する人は、どうもおかしな人がそろっていた。私たちは、この奇妙な人たちにかかわる必要はない。
現実に中国の脅威は深刻になり、そして経済の成長率の鈍化という危機は進行している。
無駄な主張をする反対派を相手にせずに、粛々と安保体制の整備と問題点の是正、「税金に寄生する人」を減らして経済を強くする取り組みを進めたい。
石井孝明 ジャーナリスト
全文・写真などはアゴラで
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