【文化】 秀吉が「木下藤吉郎」名乗った最後の文書発見at NEWSPLUS
【文化】 秀吉が「木下藤吉郎」名乗った最後の文書発見 - 暇つぶし2ch1:発毛たけし ★
15/07/12 21:20:01.60 *.net
豊臣秀吉が木下藤吉郎を名乗った最後にあたる文書(1573年5月付)が見つかったと兵庫県豊岡市教育委員会が10日、発表した。
従来の研究では木下姓を記した最後の文書は72年12月のもの、羽柴姓になった最初の文書は73年7月のものだったが、今回の文書により改姓時期が73年5~7月に絞り込めるとしている。
自領の部下に税の取り立てを促す内容で、木下姓で自らの指示を細々と記した文書は少なく、専門家は「大名になる前の秀吉を知るうえで貴重」とする。
市教委によると、文書は浅井長政を討つため北近江(滋賀県北部)に出陣中の秀吉が、
尾張と美濃の境(岐阜県笠松町付近)の自領の部下、篠田伝七郎に宛てたとみられる。理由は不明だが豊岡市出石町の旧家に伝えられていた。
農民や地侍とみられる7人の名が書かれ、課税額を「七貫文」「四貫八百文」などと記述。
そのうえで「能々念入 可有糺明候(中略)縦縁者親類なりと云共 不見隠有やうに堅あらため」(よくよく念入りに調べ、たとえ親類縁者でも見逃さぬように)と指示が記されている。
元亀4年(1573年)5月24日の日付と木下藤吉郎の名、花押(サイン)があった。秀吉はこの頃からまもなく、
木下姓から羽柴姓に改めたとみられる。同年8月には浅井氏が滅び、その後、領地を与えられて、城持ち大名となる。
ソース URLリンク(www.yomiuri.co.jp)


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