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◇総監部「服務指導の一環。遺書ではない」
陸上自衛隊の北部方面隊(北海道)で2010?12年、隊員たちが「遺書」とも受け取れる
「家族への手紙」を書くよう指示されていたことが、
元隊員や陸自北部方面総監部への取材で分かった。
総監部は「服務指導の一環で、遺書ではない」とするが、元隊員は「事実上の遺書だった」
と証言した。安全保障関連法案の衆院審議が大詰めを迎える中、波紋を呼びそうだ。【三股智子、前谷宏】
元隊員は、陸上自衛隊を今年1月に定年退職し、北海道東部に住む元2等陸曹、
末延(すえのぶ)隆成さん(53)。1980年に東京の私立高を卒業して陸自に入隊し、
北海道や関東各地で任務に就いた。
北部方面隊鹿追駐屯地(北海道鹿追町)に所属していた2010年12月、上官から突然、
「休暇前に『家族への手紙』を書き、個人用ロッカーの左上に入れておくように」
とA4判の白紙1枚と茶封筒を渡されたという。
目的を問うと、「万が一、何かあった場合に家族に残す言葉を書いてみろ」と言われた。
上官の指示には逆らえない。<楽しい人生ありがとう>と妻への感謝を短く書き、封筒に入れて封をした。
同僚たちも、みんな同じ指示を受けた。紙に何も書かず封筒に入れた仲間もいたという。
北部方面総監部によると、方面隊トップである当時の北部方面総監が隊員に手紙を書かせるよう
部隊長らに口頭で伝えた。総監部は取材に、
「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」という
自衛隊法の規定(服務の本旨)を実践するのが目的で、
「任意であり命令ではない。遺書という認識はなく、あくまで家族への手紙」(広報)と説明した。
10年より前や12年より後は、手紙を書かせる指導はしていないという。
末延さんは12年以降は肺の病気で休職し、定年退職3カ月前の昨年10月、
総監部に手紙の返却と理由の説明を求める苦情申し立てを行った。
手紙は返却され、苦情処理通知書で
「長期の急な任務に備え、懸案となり得る事項についてあらかじめ本人の意思を整理しておくことで、
個人の即応性を向上させるもの。遺書とはまったく別物」と説明された。
しかし、末延さんは「手紙は遺書と受け止めた。同僚たちもみな『あれは遺書だった』と言っていた」
と振り返る。そして「国を守る忠誠心はある。
しかし、今の時代、どんな大義があって命をかけろと言うのか」と、
戦後の安全保障政策を転換する安保関連法案に疑問を投げかける。
法案は早ければ来週にも衆院を通過する見通しで、成立すれば自衛隊が米軍を後方支援する機会が増える。
末延さんは「自分が入隊の宣誓をした時は、よその国の戦争に加勢することは想定していなかった。
加勢で海外へ派遣される仲間は死んでも死にきれないだろう」と話す。
後輩らは今も手紙をロッカーに保管しているかもしれない。
末延さんは「都合よく死を美化するために使われかねない。勇気を持って疑問の声を上げてほしい」と語る。
11日、札幌市である北海道弁護士会連合会の集会で手紙の問題を訴える。
◇安保法制できれば現実化
軍事評論家の前田哲男さんの話 自衛隊流の死生観を隊員たちに持たせるための
一種の精神教育として指導したのだろうが、旧日本海軍の兵士が
出撃の際に出した家族や知人への手紙をほうふつさせる。
安全保障関連法案が成立すれば、陸上自衛隊もこれまでの人道支援から、
戦闘部隊とより一体化した後方支援などを担う可能性が高まる。その時には単なる精神教育ではなく、
実際に遺書を書かせることが現実化するかもしれない。
◇陸上自衛隊北部方面隊
全国を五つに分けた陸自方面隊のうち最大規模の部隊で、北海道の防衛と警備を担当している
二つの師団と二つの旅団、約50の方面直轄部隊で構成され、隊員は約3万人。
トップは陸将の方面総監が務め、本部に当たる方面総監部は札幌市に置かれている。