【社会】日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない K・ギルバート氏at NEWSPLUS
【社会】日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない K・ギルバート氏 - 暇つぶし2ch1:ちゃとら ★
15/03/26 02:49:11.56 *.net
 私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。
記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。
 しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。
 日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。
しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。
 他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。
 ちなみに、日本語の仮名は「五十音」と言われるが、「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音、「ぁ」行と「っゃゅょゎ」という捨て仮名を入れると、ひらがなは76文字。
カタカナは「ヴ」も使うから77文字ある。加えて、常用漢字は2136字/4388音訓もあり、同じ言葉でも、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。
 従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。
うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。
 世界に誇るべき日本語の表現力だが、前回の連載で、君が代の変遷について書く際に、日本の初代文部大臣の森有礼(ありのり)について調べていたら、驚くべき事実を知ってしまった。
 森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。
この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。
 確かに、明治初期の漢字は今よりも複雑で数も多かった。話し言葉は口語、書き言葉は漢文という不自由な習慣もあった。
西洋に後れた政治や経済、科学などの学習に必要不可欠な英単語は、日本では概念すら存在しないものが多かった。
 例えば、「社会」「存在」「自然」「権利」「自由」「個人」「品性」「人格」「情報」「近代」「美」「恋愛」「芸術」「彼・彼女」
などの言葉は、江戸時代の日本にはなかった。明治期の先人が苦労を重ねて生み出したのだ。
 もし、これらの言葉が使えなかったら、日本語の文筆作業は相当もどかしい。
だから、当時の森の気持ちも理解できるが、現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。
 ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。
結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。

URLリンク(www.zakzak.co.jp)


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