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新しい人権として、原子力の恐怖から免れて生きる権利「ノー・ニュークス権」の確立を
司法の場で目指す動きがある。安全性が不安視される原子力発電所の存在が、
憲法の保障する社会的生存権、幸福追求権を侵害しているとして発想された権利だ。
東京電力福島第1原発事故から迎える4度目のこの春。県内にも反響が広がっている。
ノー・ニュークス権が訴状に明記され、法廷で初となる議論が想定されているのが、
2014年1月に提訴された「原発メーカー訴訟」。国内外の4千人超の市民らが、
福島の原発事故で受けた精神的慰謝料として1人100円を求め、原発メーカー3社を東京地裁に訴えた。
5月にも第1回口頭弁論が開かれる見込みだ。
原発事故の責任は電力会社が一手に負い、本来責任を負うべきメーカーは免責とされてきた。
原子力損害賠償法(原賠法)が規定する責任集中制度によるもので、被害者保護と原子力産業育成の
両立を図る目的からだ。原告側は「メーカーに対する賠償請求が否定されていることが
財産権、平等権、裁判を受ける権利を侵害し、違憲であり無効」と争う考えだ。
ノー・ニュークス権の提唱者で原告側弁護団長の島昭宏弁護士(52)は
「原賠法によってメーカーが社会的な批判や賠償を免れていることこそが、
安全性を最優先することを妨げてきたのではないか。福島の事故後も技術輸出を図ろうとするなど、
原子力産業の無秩序な肥大化も容認してきた」と厳しく指摘する。
ひとたび事故が起きると、地元住民は強制避難・移住を余儀なくされ、
財産権や居住・営業の自由といった数々の人権が損なわれる。島弁護士は「さらに」と立ち止まる。
「福島の原発事故で明らかになったが、原発は安全性が完全には確保されていない。事故の有無でなく、
日ごろからそうした環境で生活を強いられること自体が、また人権を損ねているのだと問いたい」
不安に駆られることなく安全な生活を送れることを「人が人としてふさわしく
生きていくための最も重要な根幹」と考える。国外にも原告参加を求めたのは、
憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する」との一節も踏まえてのことだ。
現行憲法には明記されていないが、プライバシー権など判例で固まっている新しい人権は存在する。
島弁護士は「裁判を通じ、ノー・ニュークス権の存在が認められれば成果は非常に大きい。
その人権を根拠に、原発被災者の支援拡充や原発再稼働差し止めを求めるのに生かされる」と話す。
裁判の勝敗にかかわらず、ノー・ニュークス権への関心を集めることが、
原発社会への再考を促す新たな判断材料になると信じる。
「原発のある未来か、そうでない未来か。考えを深めてもらう機会にしたい」と島弁護士は言う。
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原発メーカーの責任を問うこうした動きに対し、メーカー側は「国の立法、政策に係る事項であり、
コメントする立場にない。法令に従い対応する」「原賠法は、原因にかかわらず電力事業者への責任集中を定め、
万一の事故の場合に市民に対して適切で迅速な補償が行われるための制度と認識している」などと説明。
あるメーカーは「今回の事故を検証した複数の調査機関は、いずれも今回のアクシデントは
津波と津波による海水ポンプの機能停止および全電源喪失によるものと結論づけており、
原子炉の設計が問題とはしていない」とコメントした。
神奈川新聞
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写真:ノー・ニュークス権を提唱した島昭宏弁護士(52)
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