15/02/18 03:59:05.27 *
毎日新聞 2月18日 3時0分配信
◇警視庁公安部、現住建造物等放火未遂容疑で
1986年に在インドネシア・ジャカルタの日米両大使館に迫撃弾が撃ち込まれた「ジャカルタ事件」に関与したとして米国で収監され、先月釈放された日本赤軍メンバー、
城崎(しろさき)勉容疑者(67)=国際手配中=が18日にも日本に送還されることが公安当局への取材で分かった。
警視庁公安部は到着次第、日本大使館への襲撃直後にあったホテル客室への現住建造物等放火未遂容疑で逮捕する方針。
ジャカルタ事件の解明を進めるとともに、当時の日本赤軍の活動実態についても調べる。
逮捕容疑は86年5月14日、滞在していたジャカルタのホテル客室に時限式発火装置を仕掛け、放火しようとしたとされる。
直前に大使館に向けて迫撃弾を発射したとみられ、放火は証拠隠滅が目的だったとみられる。
ホテルに残された指紋から公安部が城崎容疑者の逮捕状を取り、92年に国際手配していた。
公安当局によると、城崎容疑者は徳島大を中退し、共産主義者同盟赤軍派に参加。
同赤軍派が資金獲得目的で起こした金融機関連続襲撃事件「M作戦」に関わったとして71年3月に強盗傷害容疑などで逮捕され、懲役10年の判決が確定した。
しかし、服役中の77年9月、日本赤軍がパリ発東京行きの日航機を乗っ取り、バングラデシュのダッカ空港に強制着陸させた「ダッカ事件」が発生。
赤軍メンバーらが人質の乗客らと引き換えに服役中の仲間の釈放を要求したため、福田赳夫首相(当時)が「人命は地球より重い」と超法規的措置を発動し、城崎容疑者ら6人が釈放された。
その後、城崎容疑者は日本赤軍に合流し、ジャカルタ事件に関与したとみられる。96年9月にネパールで拘束され、
98年2月、米大使館への襲撃に関与したとして米ワシントン連邦地裁で殺人未遂罪などで禁錮30年の評決を受けて服役した。
模範囚として刑期が短縮されて先月16日に釈放となり、入管施設に移されていた。【岸達也】
◇日本赤軍
海外に革命拠点を作るとする「国際根拠地建設構想」に基づき、1971年にレバノンに出国した重信房子受刑者(69)らが結成。
イスラエルのテルアビブ・ロッド空港乱射事件(72年)、在マレーシア米大使館を占拠したクアラルンプール事件(75年)など数々のテロ事件を起こした。
メンバーの多くが拘束されたが、岡本公三容疑者(67)ら7人が現在も国際手配されている。重信受刑者は自身の逮捕・起訴後の2001年4月に日本赤軍の解散を表明したが、警察当局は存続しているとみている。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)