15/01/07 16:53:01.27 0
「リベラル」って誰のこと?
ネットではよく「戦後リベラルは…」といった物言いを目にする。
そこで言及される「戦後リベラル」というのは大抵頭の悪そうな主張をしていて、柔軟性に欠ける一方、平気でダブルスタンダードを行使する卑劣な輩であったりする。
こういう物言いが気になるのは、ぼくが自分のことを(一応は)リベラルだと考えているからなのだろう。
自分では全く支持しないような意見であっても「リベラル」だというだけで、それを支持していることにされてしまう。
これはあまり愉快な経験ではない。
おそらくそれは「リベラル」に限った話ではないはずだ。「フェミニズム」、「サヨク」、「ウヨク」、「ネトウヨ」等々のカテゴリーにしても同様のはずだ。
自分では口にしたこともないような意見についてまでそれを支持していることにされてしまう。
実際、この手の粗雑なカテゴライズは緻密な議論を展開するうえではそれほど役に立たない。
むしろ邪魔になることのほうが多いだろう。
にもかかわらず、この手のカテゴリーがしばしば利用されるのは、「楽だから」という理由が大きいのではないかと思う。
たとえば、「戦後リベラルは…」という代わりに「丸山真男は…」と言えば、「丸山はそんなことを言っていない」という反論が起きかねない。
存命の人物であれば、正面から反論されることもあるだろう。ところが、誰を指すのかも定かではない「戦後リベラルは…」というカテゴリーを使っておけば、指示対象が不明なので反論もされづらい。
この手の曖昧なカテゴリーは、自分の意見の卓越性や独創性を強調するうえでは実に便利だ。
そこにカテゴライズされた連中が頭の悪い硬直的な意見を持っているほどに、自分の議論の踏み台にしやすい。
この手の論法をよく「藁人形論法」と言ったりするが、藁人形のなかに誰が入っているのかが定かではないほど、藁人形としての使い勝手は良くなる。
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★:2015/01/03(土) 20:44:40.58
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