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<平和って>戦争の芽 敏感に 米軍基地の銃器体験を告発 新倉 泰雄さん(62)
年の瀬の午後八時。米海軍横須賀基地近くで飲食店が軒を連ねる「どぶ板通り」では、
外国人たちが杯を傾け、笑いさざめく。原子力空母が帰港した基地の街は、一層、異国めく。
「他国の軍隊が居座り続ける。これでいいのか。ずっと問い続けているんだ」。基地に反対する
市民グループ事務局長の新倉泰雄さん(62)は、連れ立って道行く米兵を見やった。
その瞳に、複雑な思いがにじむ。
二〇一三年八月。基地の一般開放行事で、米兵が見学に訪れた子どもたちに銃を持たせ、構えさせた。
「一般開放は否定しない。でも、子どもに本物の銃を持たせるとは」。新倉さんは他の市民グループと、
在日米海軍司令官などに抗議。それは社会への問題提起にもなった。戦争を知る世代からは「身近にある
戦争の芽に、異議を唱えるのは大切だ」と励ましのメールや電話も寄せられた。
一方で、銃器体験は戦争を教える機会だという声もあった。「銃を持たせれば戦争の怖さが分かるなんて、
本末転倒だ」。刑事告発には仲間内でも意見が分かれた。だがやってみようと、一四年六月、当時の基地司令官ら
二人を銃刀法違反容疑で横浜地検に告発した。「銃器体験は憲法九条を壊す行為だ」と訴えた。
幼いころ、基地は当たり前の存在だった。両親は米軍属に家を貸していた。小学校の社会科見学は基地訪問。
「米国の豊かな生活に触れて『すごいな、かっこいいな』と思った」と振り返る。父が腸炎で倒れた時、
近くにいた米兵が車で病院に運んでくれた。病室の前で父を心配する子を元気づけようと、米兵が紙袋に入れた
ポテトスティックをそっと差し出した。「基地に嫌悪感は、なかったよ」
転機は、高校時代。「時代を直視しなさい」が口癖の教員と出会った。在日米軍について「おかしいと
思わないか。教科書にないことも勉強しなさい」と繰り返した。戦後の日本。沖縄。基地。
自分なりに勉強した。疑問が噴き上がった。
小学校教員を経て教職員組合の役員だった四十七歳の時、心筋梗塞で倒れた。入院中、海外の紛争地の病院が
爆撃された映像を見た。入院して治療に専念する。それは、平和な国だからできることだと気付いた。
戦争を体で知る人は減ってきた。「伝える責務を次に担うのは戦後間もなくに生まれ、
平和憲法の下で育った僕らだ」。軍都に育ち、基地に複雑な思いも残る。そんな自分だから伝えられることがあると信じる。
積極的平和主義。国際貢献の名の下の自衛隊派遣。集団的自衛権。戦後七十年の日本には、正体のはっきりしない
言葉が乱れ飛ぶ。「言葉のごまかしだ。感覚を研ぎ澄まし、日常で使う言葉や生活の中に、平和を脅かすものを感じたら、
一つ一つきちんと問いただしていくよ」 (中沢佳子)
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
東京新聞 2015年1月7日
URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)