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「何で俺が来たと思っているのだ」原発作業員に向けた激高 政府の原発事故調・検証委の調書で浮かぶ「イラ菅」と政府の混迷ぶり(1/7ページ) - 産経ニュース
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東京電力福島第1原発事故で政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」は、政治家や官僚、専門
家など、これまでに202人分が公開された。吉田昌郎(まさお)福島第1原発所長の「吉田調書」で判明した現場の奮闘ぶりとは対照的に、公開
された調書から浮かぶのは混迷する政府、及び腰の保安検査官、現場を乱す菅直人元首相の「イラ菅」ぶりだった。主な調書から事故の対応
を振り返る。(「吉田調書」取材班)=肩書は当時
海江田万里経済産業相
【事故直後の首相】
《菅直人首相が3月11日午後7時3分に原子力緊急事態宣言を行う。これに先立ち海江田万里氏は官邸に報告に出向いていた》
(菅首相は)とにかく「大変なことなのだ、わかっているのか」ということを何度も言ったことは確か。「大変なことになる。大変なことになる」と
何度も。「いや、大変なことだから来たんだ」とよっぽど言おうと思ったが、そこはぐっとこらえた。
【ベント】
《12日未明から東電は1号機のベント(排気)準備を始める》
どうすればいいのかという話になり、そこでまずベントをやって圧力を逃がすということだという話で、そのとき「ベント」というのは初めて聞く言
葉で、申し訳ないけれども。では、とにかくベントをやってくれと
《ベント実施が決まってもなかなか実行できない状態が続いた》
いらだちという言葉がいいかどうか分からないけれども、とにかくなんでベントができないのだろうかとずっと思って現場に電話した。吉田昌郎
所長と直接話し、「とにかくベントをやってくれ」「わかりました。全力でやります」とのことだった。
【撤退問題】
(最初に聞いたのは)私の記憶では、清水正孝社長からの電話。秘書官経由で。覚えているのは「撤退」ではない。あれは「退避」という言葉。
第1原発から第2原発への退避。そばにいた人に第1から第2へ行ったらどうなるのか聞いた。そうすれば第1原発は5、6号機も全部爆発だ
と、そう聞いたから、それは無理だと言った。
厳しい状況は分かっているから、「なんとか残って下さい」と言ったと思う。そうしたら「そうですか」みたいなやりとりで、「絶対だめだ」とかそうい
う言い方ではない。急性被(ひ)曝(ばく)の可能性もあるから、こちらも非常に深刻だった。
池田元久経産副大臣
【首相の現地視察】 《政府の現地対策本部で本部長を務めていた池田元久氏は、3月12日朝に菅直人首相が現地を訪れるとの連絡を受け
る》
これは困ったなと。未曽有の災害対策としてこれはまずいと。人命救助は(生存率が急激に下がる発生から)72時間が鉄則ですよね。だから
72時間は人命救助に努力すべきだと。
《それでも強行した菅首相はいらだっていた》
イラ菅で有名だが、この日は特別なものがあって…。バスに乗り込んだら、武藤(栄東電副社長)さんにいきなり怒鳴りつけて、何が何だか分
からない。
今度は免震重要棟に入った。そこで交代勤務だと思うが、作業員の人が大勢いた。中には上半身裸というか、除染などの人だと思うのだが、
大変だなと思った。その前で菅氏はなんと言ったかというと、「何で俺がここに来たと思っているのだ」と言った。これには呆(あき)れました。
一般の人の前で言ったので、イラ菅にしても今日はひどすぎると思った。秘書官なんかもみんなびっくりしたと思う。つまらないことで怒鳴って
みたり、終始ひどかった。大荒れだった。
菅氏の態度については大変遺憾だと思う。特に民間人に「一体何のために俺がここに来たと思っているのだ」は本当に呆れた。
非常に遺憾なのは、(菅首相は)打ち消しにかかって「あの日以外はほとんど冷静だった」と朝日の記事で言わせたり。ということは、あの日は
激高したということでしょう。