14/11/26 22:34:10.68 0
(>>1の続き)
リベラルな人たちが、昨今のヘイトスピーチ問題や嫌韓・嫌中本の大流行について「社会に不満を持つかわいそうな人たちが自らを
慰撫するための一過性の流行にすぎない」といった感想を持っていることがよくあるが、そうした見解は間違いだと、私は思う。
地道にネットにデマを書き、歴史修正主義にもとづいて地方の役所に申し入れをし、排外主義にもとづいて議員にロビイングをまめに
行い、少人数でも決してめげずにデモをつづける。こうしたことをおよそ15年にわたって地道に、マメに続けてきた成果が、第2次安倍内閣
にはそのまま結実しているように見える。
この政治的傾向は昨日今日始まった突発的な流行ではなく、かつての新左翼とは別の立場から戦後民主主義を否定し、終了させよう
とするはっきりとした意志に基づく、日本の思想潮流の大転換なのである。
つまり彼らは厳密な意味では「保守」ではない。かつての新左翼と同様、日本という国家が依って立つ根本的な理念を転換させようと
する極右革命勢力である。そして逆に言えば、「憲法を守れ」「人権を守れ」と、「守れ」ばかり言っているリベラルの側が、実質的には
文字通りの「保守」なのだ。
その「革命」の第一の波は、1996年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」から始まっている。小林よしのりの右傾化もこの前後
であり、彼はそのまま「つくる会」に参加して「新しい歴史教科書」の編纂に携わることとなる。そして翌年、日本会議が設立されるのだ。
これは神社本庁からカルトまで多くの宗教団体を母体にした、一種の宗教保守勢力である。第2次安倍内閣の閣僚19人のうち、15人が
この日本会議のメンバーだった。
このように、昨今の日本の「右傾化」はおよそ20年前に始まっているのだが、当時まだインターネットはそれほど普及していなかった。
1995年にウィンドウズ95が発売され、一般人が加入できるプロバイダーが増えたことでインターネット時代が始まったわけだが、当時の
ネット空間はおおむねリベラルな雰囲気が主流だった。
右派の多くはネットを使っておらず、ネットニュース(BBSやSNS普及以前の掲示板システムのようなもの)は大学関係者や研究機関、
それもどちらかというと理系が利用者のほとんどを占めていた。一般人がネット上でできることといえば、「HP」という日本独自の略語で
呼ばれる「ホームページ」すなわち自分のサイトをつくって、趣味の情報を発信するという程度のことだったのである。
その様相が一変したのは、完全匿名を実現した大規模な掲示板システムである2ちゃんねるが1999年にオープンしてからだ。この連載
のタイトルが「15年」となっているのは、ネット右翼の思想史の起点を2ちゃんねるに設定しているからである。
それまでのインターネットは実名での利用が基本で、ハンドルを使う場合もIPアドレスやリモートホストどこかに表示されているのが
普通だった。「ホームページ」のURLに含まれているユーザー名にfingerをかければ、本名や連絡先を簡単に知ることすらできたので
ある(fingerとは、ユーザー情報を表示するUNIXコマンド)。
当時のインターネット上では、権力の検閲からいかにユーザーの匿名性を守るかということがさかんに議論されていて、完全匿名で
メールを送ることができるアノニマス・リメイラーや文書を暗号化してやりとりできるPGP暗号ソフトなどが開発されてきた。
これら暗号化を推進していた人々の多くはリベラルで、ときにアナーキスティックでさえあった。電子フロンティア財団(EFF)やフリー
ソフトウェア財団(FSF)を見てもわかるように、既存の法律が適用対象外であるネット空間において権力から市民的自由と民主主義を
守るためにどうすればよいか、それが匿名技術や暗号技術あるいはコピー技術の開発と推進の目的であった。インターネットは
グーテンベルクの活版印刷以来の大発明とされ、初めて民衆がメディアを手にしたユートピアだと考えられていた。
(さらに続きます)