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11月14日、ついに朝日新聞の木村伊量社長が辞任した。だが、15日の朝刊に掲載された辞任
のことばを読むと、中身のない反省の言葉が並んでいるだけで言論機関としての矜持は皆無だ。
いや、社長の対応だけではない。一連のバッシングは明らかに官邸や右派勢力による不当な
圧力なのに、それに抗する姿勢をまったく見せることができず、自分たちが損ねた慰安婦問題
の信用性を回復するために新たな史実を発掘しようとする気概もない。いまの朝日は食品偽装
が発覚したレストランみたいに、ただ頭を低くして嵐が通り過ぎるのを待っているだけだ。
一方、そんな朝日と対照的に、最近、言論人としての原理原則を強く打ち出しているのが、そ
の朝日にコラムの掲載拒否をされて話題になった池上彰だろう。池上は、朝日の言論封殺の被
害にあったにもかかわらず、「週刊文春」(文藝春秋)での連載で、「罪なき者、石を投げよ」とい
うタイトルの文章を発表。他紙も同様に自社批判を封印していることを指摘したうえで「売国」とい
う言葉を使う朝日バッシングの風潮に警鐘を鳴らして、読者から高い評価を得ていた。
その池上が、ここにきて、さらに踏み込んだ発言をしているのだ。
たとえば、そのひとつが「世界」(岩波書店)12月号での発言。この号は「報道崩壊」が特集なの
だが、池上はジャーナリストの二木啓孝との対談で、朝日バッシングを取り上げ、こんな本質的
な問題提起をしている。
〈今回、一番私が違和感を覚えるのは、「国益を損なった」という言い方です。極端な言い方をす
れば、メディアが「国益」と言い始めたらおしまいだと思います。〉
〈これが国益に反するかどうかと考え始めたら、いまの政権を叩かないのが一番という話になる
わけでしょう。それでは御用新聞になってしまう。私は、国益がどうこうと考えずに事実を伝える
べきで、結果的に国益も損ねることになったとすれば、その政権がおかしなことをやっていたに
過ぎないと思います。〉
たしかに、朝日バッシングでは、産経や読売といった新聞、「週刊文春」や「週刊新潮」(新潮社)などの雑誌から、
やたらこの「国益」という言葉が発せられていた。朝日は国益を損ねたのだから、国際社会に対して説明せよとか、廃刊して責任をとれ、という意見までがとびだした。
しかも、この言葉を使うのは、右派メディアにかぎらない。朝日や毎日新聞などもふくめたあらゆるメディア関係者の間
でこの言葉が普通に使われ、権力批判を放棄するエクスキューズになっている。
まさに池上の指摘は、いまのメディアが抱える最大の病理を鋭く指摘したかたちだが、しかし、池上はこの対談で、
新聞やテレビ、週刊誌だけでなく、ネットについても鋭く切り込んでいる。
〈嫌韓だけでなく、かつては絶対に使ってはいけないとされた差別用語が臆面もなくネットには飛び交っていますね。
(中略)書き放題のネットを唯一の情報源としている人たちには、出版界や新聞などとは全く別の“常識”が生まれているのではないでしょうか。〉
〈ある大学で講義をしたとき、レポートの裏に学生の質問が書いてあって、
「日本のメディアはみんな在日に支配されているというのは本当ですか」と。かなりの部分の若者たちがそうしたネット言説を信じているんですね。〉
こうした現状認識を開陳した上で、ネットにはびこる嫌韓・反中、そして日本の誇りという言葉の裏にあるデタラメを暴きだすのだ。
〈歴史的な発展段階で通る過程において起きることを、韓国だから中国だからこうなんだといって叩いている。
ちょっと前は日本だって同じだったよ、という歴史も知らないまま日本の誇りを持つというのは、非常に歪んでいます。〉
〈「昔はよかった」とか「取り戻そう」というのも、その「昔」とは何なでしょうか。日本はいま街にゴミを捨てる人もいないけれど、
一九六四年の東京オリンピックの前に一大キャンペーンが行われるまでは本当にゴミだらけで、青山通りから渋谷は、風が吹くとゴミが舞っていた。〉
〈昔から日本は清潔好きで、行列はちゃんとつくる優等民族だという発想がこわいですね。民族の問題じゃない。発展段階や政治体制の問題なのに。〉
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