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■編集委員・松下秀雄
キツネにつままれたような感じがする。
だって、安倍晋三首相が意欲を燃やしているのは、集団的自衛権に関する法整備や憲法改正じゃないの?民意を問うならそっちだろう。
集団的自衛権行使を認める閣議決定の前後に衆院を解散すれば、争点は明確になったはずだ。
でも、そこでは踏み切らなかった。首相がどう説明するかはわからないが、消費増税を先送りして解散すると騒がれている。
だれだって、増税をせずにすむならその方がいい。「本音ではみんなやりたくないこと」で民意を問い、やらないと訴えて選挙を勝ちぬく。
その数の力で、意見が分かれる問題で「自分がやりたいこと」を通す。もしもそれを狙っているのであれば、ずるい。
というと、政治のプロから「子どものようなことを!」と笑われるかもしれない。
きみきみ、選挙のゆくえを決めるのは「暮らし」だよ。アベノミクスや増税先送りで暮らし向きがよくなれば、有権者は歓迎する。
ほかの問題で多少の批判を浴びても、政権はひっくり返らない。それが政治の現実だろう―。
たぶんその通りだ。でもこの発想は「えさを与えれば喜ぶ」に似て、人への軽蔑が含まれている。
書生論に戻る。選挙は民主主義の一部品でしかない。民主主義の本体は、一人ひとりが社会のあり方を考えること。
その機会になりうるから、選挙はとりわけ大切なのだ。野田佳彦前首相は消費増税を決めて選挙に敗れた。しかし、問いかけは重かった。
好んだのはこんな説明だ。
日本はかつて、多くの現役世代で1人のお年寄りを支える「胴上げ型社会」だった。今や3人で1人を支える「騎馬戦型社会」で、やがて「肩車型社会」になる。
だからお年寄りを支える費用を、お年寄りを含む全世代で負担しなければならない。支える側の若い世代を支援する財源も要る―。
ただ、いま振り返ればこの説明はどこか「上から目線」だ。社会と同時に、それぞれの家族も「肩車」化することに目配りが足りなかった。
昔は兄弟姉妹で老親を支えられた。だがいずれ一人で一人を支えるようになる。介護などで仕事を諦め、食い詰める。
すでにそうなっている人、その不安にかられている人にとって負担増は厳しい。
「肩車」になるから増税と言われても、家族の立場からみれば、だから払えない。増税への反発は当然だ。
でも、よく考えよう。「肩車型家族」にこそ社会の支えが要る。ふだんは多く負担する代わり、介護などの問題を抱えた時にしっかり支えてもらう。
それぞれの事情に応じて働き方や働く時間を選べる。そんな社会にしないと、肩車はつぶれかねない。
家族の変化にあわせて、どうやって社会で支えあうか。正面から論ずるなら、消費増税を問う意味は大きい。
なのに「先送り」の是非? それで私たちに、何を考えよというのだろうか。
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