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(>>2の続き)
翁長氏は辺野古移設に反対するが、普天間の固定化を当然許さない。日米両政府が普天間の機能をどうしても必要とするなら、
県外の移設先を探すしかない。
翁長氏が勝ったら、普天間返還発表後、地元の名護市長と県知事が辺野古移設反対を鮮明に打ち出すのは初めてのことになる。
政府は強硬姿勢を貫くことができるだろうか。選挙という間接的な力が及ばないなら、県民は座り込みや基地ゲート封鎖など直接的な力
で抵抗することを余儀なくされる。そうなれば全基地撤去運動にもつながるかもしれない。
いずれにしても、知事選の結果は「辺野古移設に是か、非か」と矮小化できるものではない。沖縄に頼り切ってきた、もしくは閉じ込めて
きた日本の安全保障の脆弱さが露呈されつつある。それでも国民は何事もなかったかのように沖縄への押しつけを続けることができる
だろうか―。そう問いかけているような気がする。
■日本は沖縄を「米国へ売り渡した」
これは沖縄のわがままではない。
沖縄の現状を名護市に住む座喜味彪好さん(88)は「ここまでひどい目に遭わせて、それでも、それでも、というのは日本政府の
傲慢(ごうまん)だ」と我慢できない。
東京大学、副知事、沖縄電力社長と、仲井真氏の先を歩んだ。78年から90年まで知事を勤めた自民の西銘順治氏に仕え、保守全盛
の政治、経済をけん引した一人だ。
写真=普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の米海兵隊キャンプ・シュワブの沿岸。水陸両用車が沖に停泊した揚陸艦へ
向かう訓練など、戦時下の様な風景が日常に溶け込んでいる(2012年11月9日)Photo by Daisuke Fukumoto
URLリンク(diamond.jp)
戦後、沖縄本島の傷痕を徒歩でたどった経験がある。軍靴の中の澄んだ水に浮かぶ足の骨が今でも目に焼き付いている。米軍占領下
では、ニワトリの餌にもならない黄色いインディカ米を配給された。警察官だった同級生は駐在所の宿直室で寝ていたところ、米兵に銃殺
された。
52年4月28日のサンフランシスコ講和条約で沖縄は本土から切り離された。ブルドーザーで土地を奪われ、基地が建設されていった。
本土で反基地運動が高まり、居場所を失った海兵隊が岐阜や山梨から沖縄に移駐した。
基地近くの集落入口には、鐘の代わりに使用済みの爆弾がぶら下げられていた。座喜味さんは「米兵が集落に入ったら鉄パイプで
爆弾をたたいた。女性への暴行が絶えなかったため、危険を知らせる意味があった」と苦々しく語る。
座喜味さんは辺野古移設に反対する。
「悲惨な地上戦に巻き込まれ、穴から出てきたら裸にされ、頭からDDT(殺虫剤)をかけられた。何もかも壊され、口に入るものを何でも
食べ、生き延びた。米軍占領下で友人を殺され、女性は乱暴された。そんな沖縄を『ごめんよ』の一言もなく、米国へ売り渡した」
「日本政府は沖縄の過重負担を知りながら、復帰前のどさくさに本土からさらに基地を移した。小さな島は軍事基地を詰め込まれ、
苦しんでいる。その上、辺野古に基地を造らせてほしいと言うのか」
沖縄の基地問題を分かりやすく説明する例え話がある。
《山登りの遠足があり、担任の先生を先頭にクラスメートたちが身軽に歩いている。最後尾は体の小さい“沖縄さん”だ。山ほどの荷物
をかかえ、見るからに苦しそう。持っているのは個人の荷物ではない。虫よけスプレーや熊対策の鈴など、他のクラスメートにも必要と
先生が考え、詰め込んだものだ》
《沖縄さんが「みんなで分けあって持ちませんか」と先生やクラスメートにお願いするのは反抗だろうか。「お金をあげるから我慢して」
という声も聞こえる。せめて、右腕からこぼれ落ちそうなリュックサックだけでも誰かにお願いしたい》
《先へ進むクラスメートは沖縄さんの事情を知らないのか、知らないふりをしているのか、後ろを振り向いてくれない。そんな沖縄さんに
先生は提案した。「右腕がつらいなら、左腕に持ちかえなさい」》
(終わり)