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それは、安倍首相に対して発せられたとしか思えないものだった。10月20日の誕生日を前にした文書コメントで、
美智子皇后が「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という質問に、こう答えたのだ。
「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を
忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、
従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、
個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」
実はこの皇后発言の2ヶ月前、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に
自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報道されていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、
処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。
皇后の言葉はこうしたタイミングで出てきたものだ。しかも、それは記者からA級戦犯をどう思うかと
質問されたわけではない。自らA級戦犯の話題を持ち出し、その責任の大きさについて言及したのである。
「天皇と皇后両陛下は、安倍政権の改憲、右傾化の動きに相当な危機感をもたれている」
宮内庁記者や皇室関係者の間では少し前からこんな見方が広がっていた。
天皇・皇后は、即位した直後からリベラルな考えをもっているといわれていたが、
それでも以前は、一言か二言、憲法や平和、民主主義についてふれる程度だった。
それが、第二次安倍政権が発足し、改憲の動きが本格化してから、かなり具体的で踏み込んだ護憲発言が聞かれるようになったのだ。
たとえば、昨年、天皇は誕生日に際した記者会見で、記者の「80年の道のりを振り返って
特に印象に残っている出来事を」という質問にこう答えている。
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、
日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、
かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき、大切なもの」と最大限に評価した上で
わざわざ「知日派の米国人の協力」に言及し、「米国による押しつけ憲法」という右派の批判を牽制するような発言をしたのである。
また、美智子皇后は昨年の誕生日にも、憲法をめぐってかなり踏み込んだ発言をしている。この1年で印象に残った出来事について聞かれた際、皇后は
「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」
としたうえで、以前、あきる野市五日市の郷土館で「五日市憲法草案」を見た時の思い出を以下のように語り始めたのだ。
「明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた
民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、
信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、
日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、
政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」
日本国憲法と同様の理念をもった憲法が日本でもつくられていたことを強調し、
基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由、信教の自由などが、けっして右派の言うような「占領軍の押しつけ」などでないことを示唆したのである。
そして、今回のA級戦犯発言─。これはどう考えても偶然ではないだろう。この期に及んでA級戦犯を英雄視する首相に対して、
「責任をとることの意味を考えなさい」と諭したとも受け取れる言葉だ。>>2
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1の投稿日:2014/11/06(木) 09:39:26.46
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