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“じゃあ、たとえ他国から攻められようとも、国土が蹂躙され、日本人が殺されようとも、
憲法九条の「戦争放棄」は愚直に守るべきだという意見ですか?”
激論の書だ。森達也『アは「愛国」のア』。
帯の文句はこうだ。
「尖閣・竹島・靖国・従軍慰安婦・死刑制度・原発・捕鯨・憲法9条…について、若者たちと、とことん語り合ってみた!
売国奴VSネトウヨ大激論、勃発!」 ノンフィクション作家の森達也が、6人の若者と語り合ったようすをまとめた本である。
(中略)
Bさんは、森達也とくっきりと対立する。
B 森さんとお話ししていると、どうしてそこまで、日本と対抗する側の人たちの味方をするのか、
日本を貶めようとするのか、わからなくなるんですよ。
B はっきり言って、お花畑の発想です。中国や北朝鮮の脅威は、以前とは比べものにならないくらい高まっているのに、
そういったことにも対応できない憲法九条にしがみついているのはなぜなのかと思う。
それにそもそもアメリカからの押しつけじゃないですか。
B 理屈はそうかもしれない。でもね、実際に苦しんでいる家族は、たしかにいるんですよ!
森さんは、自分がその立場になったとき、同じことが言えますか? 理屈だけでは、被害者家族の「殺してやりたい」
という心情は、決して消えることはないんです。
B それは愛国心じゃない。「自虐史観」って言うんです。
これらBさんの主張に、森がどう答えるか。どう対話が進んでいくか。
それが本書の読みどころになっている。
冒頭の引用、“じゃあ、たとえ他国から攻められようとも、国土が蹂躙され、日本人が殺されようとも、憲法九条の
「戦争放棄」は愚直に守るべきだという意見ですか?”と詰め寄るのはBさんだ。
森は、“その点に触れる前に、ちょっと似た話から始めます”と宣言し、アメリカの銃社会について話しはじめる。
二〇一二年、コネチカット州の小学校で銃の乱射事件が起こる。二〇人の児童と六人の教員が殺害される。
“事件発生後にアメリカ国内では、ほぼ1年にわたって、平均すれば月に二度ほど学校内での銃乱射事件が起きています。
ところが結局のところ銃規制は実現しない”。
「銃を持った悪人を止められるのは銃を持った善人だけだ」と全米ライフル協会の副会長が発言する。
全米の学校に銃装備した警察官を配置せよ、とも言う。
そして、多くのアメリカ国民がこの発言を支持するのだ。
“「銃を持った悪人を止められるのは銃を持った善人だけだ」という意見は、日本人には理解できないですね”と司会者が言う。
対話は、こう続く。
(続きます)
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