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日産自動車は15年前に危急存亡の危機に面しました。ルノーと提携して日産リバイバルプランを発表し、
いわゆるV字回復ができました。その間、多くの方に応援をいただきました。
今回、朝日新聞社の信頼回復にそのときの経験が生かせるのなら、と思ってお引き受けしました。
日産の変革はマネジメントだけでなく組織、企業風土・文化、個人の価値意識まで変えました。
いまでこそ物語のように語っていますが、その最中は生半可なものではありません。
中途半端な気持ちではできません。すべて成功したわけでなく、失敗もありました。
当時、カルロス・ゴーン(現最高経営責任者兼社長)は「再生の答えは社内にある」と繰り返していました。
リバイバルプランの中身は、こうすれば会社は立ち直れるという社内からの意見でした。
たとえば村山工場(東京都)を閉鎖しましたが、当時、日産の国内の年間生産能力200万台以上のうち
約3割が余剰になっていました。
われわれ社外委員は、変革のアイデアを出したり背中を押したりはできますが、
実行するか否かは朝日新聞社自身しか決められません。
変革には、危機意識を全社で共有することが大事です。「経営が悪い」「編集部門が悪い」と責任を
他人に押しつける「他責」の気持ちでは解決しません。90年代の日産にも、営業部門は
「売れないのは商品が悪い」と言い、開発サイドは「販売が悪い」と言う他責の文化がありました。
組織のタテの風通しや横の連携がギクシャクしているときに危機は起きます。
日産は1999年以降、部門横断のクロスファンクショナルチームを設けて連携を取ってきました。
問われているのは、朝日新聞社の存在意義だと思います。新聞社は全国紙が5社あります。
ひとつなくなっても大きく変わらないともいえます。日産が危機だった当時、乗用車メーカーは8社ありました。
ひとつぐらいなくなっても、困るのは販売会社、取引先、従業員だけなのだとしたら、
たとえ財務的に再生しても真の再生とはいえないと考えました。
社会に必要とされるには、独自の価値がなければいけません。
読者を含むステークホルダー(関係者)に、どんなブランドになると約束するか。
生まれ変わった姿を社員一人ひとりが共有してこそ、信頼回復・再生といえるのではないでしょうか。
(委員会でのごあいさつ)
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しが・としゆき 日産自動車副会長。1953年生まれ。
ルノーとの資本提携交渉の実務責任者として尽力。「日産リバイバルプラン」や、
その後の中期経営計画の実行責任者として成果をあげた。最高執行責任者(COO)を経て現職。
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