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産経新聞の捏造記事。
南京大虐殺「40万人説」の初出は産経新聞連載 記事「蒋介石秘録」(1975)
URLリンク(ecx.images-amazon.com) 「蒋介石秘録12 日中全面戦争」P69-70(産 経新聞連載記事の単行本。サンケイ出版)
南京防衛線における中国軍の死傷者は六千人を 超えた。しかし、より以上の悲劇が日本軍占領 後に起きた。
いわゆる南京大虐殺である。
全世界を震え上がらせた蛮行 日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国 軍部隊を武装解除したあと、
長江(揚子江)岸 に整列させた、これに機銃掃射を浴びせてみな 殺しにした。 虐殺の対象は軍隊だけではなく、一般の婦女 子にも及んだ。
金陵女子大学内に設置された国 際難民委員会の婦女収容所にいた七千人の婦人 が、 大型トラックで運び出され、暴行のあと、殺害 された。
日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬り を競い合ったというニュースが、日本の新聞に 大きく報道された。
虐殺の手段もますます残酷になった。下半身 を地中にうめ、軍用犬に襲いかからせる”犬食の 刑”、 鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる”鯉釣 り”、鉄製のベッドに縛りつけ、
ベッドごと炭火 のなかに放りこむ”ブタの丸焼き”-など、 など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行 された。
こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わ ない大量虐殺は二ヵ月に及んだ。犠牲者は三十 万人とも四十万人ともいわれ、 いまだにその実数がつかみえないほどである。
『倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫 をくり広げている。 野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の 滅亡を早めるものである。
それにしても同胞の痛苦はその極に達してい るのだ。』(一九三八年一月二十二日の日記) 南京に住む外国人たちで組織された難民救済 のための国際委員会は、日本軍第六師団長・谷 寿夫にたいし、
放火、略奪、暴行、殺人など計百十三件の具体 的事例を指摘して、前後十二回にわたって厳重 な抗議を提出したが、
谷寿夫は一顧だにしないばかりか、逆に、血塗 られた南京の状況を映画やフィルムに収め、日 本軍の”戦果”としてほめたたえたのである。
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