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転載
この「事件」を裁いたのは、オランダによって開設された「バタヴィア臨時軍法会議」です。
第二次世界大戦後の日本軍戦犯裁判は、A級戦犯を裁いた「東京裁判」でさえあの体たらく、
ましてやBC級裁判にいたっては何をかいわんや、です。
さらに、BC級裁判のなかでも、もっとも酷かったのがオランダによるものです。日本人捕虜
の虐待、誘導尋問、証拠原則の無視、デッチアゲ等はあたりまえ。オランダ本国では賞金つきで
証人を募集したり、当時のインドネシアに在住していたオランダ人は 証人として名乗り出ること
が半強制的に求められたとも(もちろん、これらの証人は、日本側に不利な類の証言をすることを、
当然のこととして求められたのでした)。
ただし、オランダ側からすれば無理もない話かもしれません。なにしろ、東アジアの重要な植民地
を日本に奪われ、しかも、終戦後には、インドネシア独立運動(闘争)にかなりの数の日本軍人が
参加していましたから。ただ、この運動に参加した日本軍人のなかには、日本人捕虜に対する虐待
があまりに酷いので、脱走し、オランダに対する反発から独立運動に参加した者も少なくなかった
とのこと。こういう情況の中で、裁かれたのが「スマラン事件」なのです。
何といっても、一次資料たる「裁判記録」が公開されないことには(オランダ政府に、その気がある
とは到底思えません、と言うより公開できないといった方が正確か)、この事件の正確な評価・判断
は不可能です。
従って、「スマラン事件」を、日本軍による慰安婦の強制連行の証拠とすることは、現時点では不可能
なのです。
つづく