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■「スマラン事件」が明らかにした日本軍の方針
しかもこの記事は、第2次大戦中のインドネシアで起きた最大の慰安婦事件についてまったく触れていない。
この事件を無視しては、日本とオランダの間で発生したインドネシアでの慰安婦問題を語ることはできないはずなのだ。
そして、ティマーマンス外相の実際の言葉がこの朝日新聞の報道の範囲を出ないのだとすれば、その態度も不公正と言わざるを得ない。
この事件は、日本軍が占領中のインドネシアで1944年に起きた。スマランという町の慰安所に日本軍の一部
の将兵たちによりオランダ女性30人ほどが連行され、セックスを強要された事件である。後に「スマラン事件」と呼ばれた。
ところがこの事件は、日本軍全体として「慰安婦には自由意思で志願する女性以外は雇ってはならない」と
いう明確な方針を保っていたことを逆に証明していた。
連行されたオランダ女性の父親が日本軍の上層部に直訴すると、上層部はすぐにその明確な方針に沿って、
強制連行されたオランダ女性たちを解放し、その慰安所を閉鎖したのである。
日本政府に批判的な立場から慰安婦問題を研究した吉見義明氏も、著書『従軍慰安婦』のなかでオランダ
政府の報告書などを根拠にスマラン慰安所事件の詳細を記述していた。
その記述を引用しておこう。
オランダ女性を連行したのはジャワの日本軍の南方軍幹部候補生隊の一部将校たちで、
(1)軍司令部は慰安所では自由意思の者だけ雇うようはっきり指示していたが、同将校たちはその指示を無視した。
(2)連行された女性の父のオランダ人が日本軍上層部に強制的な連行と売春の事実を報告したところ、すぐにその訴えが認められ、現地の第十六軍司令部はスマラン慰安所を即時、閉鎖させた。
(3)同慰安所が存在したのは2カ月間だった。
(4)主犯格とされた将校は戦後、日本に帰っていたが、オランダ側の追及を知り、軍法会議の終了前に自殺した。
なお違法連行に関わった他の日本の軍人、軍属ら合計11人が戦後の1948年、オランダ当局がインドネシア
で開いた軍法会議で死刑や懲役20年という重罰を受けた。要するに日本軍でも上層部の命令に違反した戦争犯罪として罰せられたのである。