14/09/22 07:24:15.28 WMaOW/gH0
>>599
■パル判事は国際法は素人だった。また誤って選任されていた(衝撃的すぎてネトウヨ本では教えてくれない日本史)
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○1924年にはカルカッタ大学にて法学博士号 (LLD) を取得した。論文は「『マヌ法典』前のヴェーダおよび後期ヴェーダにおけるヒンドゥー法哲学」であった
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○パルは、法曹としては所得税法を専門とする腕利きの弁護士であり、法学者としてはヒンドゥー法を専門とした。
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○(パルは)名弁護士、法学者ではあったが、正式な判事になったことは東京裁判以前になく、国際法も東京裁判以前には研究した痕跡はなく、税法や相続、法哲学が専門だった。
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○パルは正規の判事に就いたことがなかったので、東京裁判に参加するにあたって適格性が問題視された。また、国際法は専門外だったので、就任後に勉強する必要があった。
いわば門外漢のパルが選ばれた理由は、判事選出に時間的余裕がなく(インドが代表を出すことが決まってから開廷まで一ヶ月弱!)、選出期日を過ぎても適任者が得られなかったため。
各地の高裁に募集が掛けられ、最初に手を上げたパルが選出されたが、結局開廷には間に合わなかった。
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○9月5日(土)の朝日新聞(大阪本社)夕刊に「パル判事 誤って選任」と題する記事が掲載されている。
第2次世界大戦後、連合国が日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)の判事団で唯一、東條英機ら25人の全被告を無罪としたラダビノド・パル=写真=が、
インド国内の間違った手続きで代表判事に選ばれていたことがわかった。開廷直前に植民地政府の高官が誤りを認めて謝罪し、選任担当者は左遷されていた。インド国立公文書館の文書に記録されていた。
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