14/09/19 20:09:57.62 ciJmqB0l0
>>797
第十軍の憲兵だった上砂勝七氏(陸軍少将。終戦時、台湾憲兵隊司令官)「憲兵三十一年」より
右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが
何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。
補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、
各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で
目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、
一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。
この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」
が出された。
戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を
以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、
指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
>>761も見てね
バカウヨさんww