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11日に公開された政府事故調査・検証委員会による吉田昌郎氏(東京電力福島第1原子力発電所所長)ら関係者の調書からは、
事故当時の混乱ぶりが改めて浮き彫りになった。事故による教訓を引き出せるのか検証する。(肩書はいずれも当時)
「(危機感は)すごく強く持っていた。非常用電源が動いたのでほっとした。当然地震によって津波が来る可能性はある。
プラントは一定の安全は保たれているという安心感はあった。(津波襲来後の)次にはどういう形で冷却を持っていくかは頭に入っていた」
2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災の激しい揺れが東京電力福島第1原発を襲った。
外部電源が断たれ運転中だった1~3号機は緊急停止。電源は非常用のディーゼル発電機に切り替わった。
津波到達前に原発の施設や機器は損傷していたのか。後に事故原因の争点になったが、吉田氏は異常はうかがえなかったと証言している。
「(異常は)基本的にはなかった。プラントの水漏れだとか、機器の損傷だとか、私は全く聞いておりません」
原子炉の冷温停止に向けた懸命の作業が進んだが、約50分後の午後3時半ごろ、津波が到達すると事態は一変した。
頼りだったディーゼル発電機が流され全電源喪失状態に。吉田氏らはなすすべのなさに言葉を失った。
「絶望していました。全部の炉心冷却が止まってバッテリーが止まった後、どうやって冷却するのか。自分で考えてもこれというのがないんです。
答えがないんです」
原発の危機的な状況が官邸に伝わったのは午後5時ごろ。だが、菅直人首相は「最初は(原子力安全・保安院の)寺坂(信昭)院長が来たと思うが、
内容を聞いてもよく分からなかった」と証言している。
海江田万里経産相から再度報告を受けるなどし、ようやく冷却機能喪失の深刻な状況を把握。菅氏が原子力緊急事態宣言を発令したのは午後7時3分だった。
以下略
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