14/09/10 22:45:01.91 0
(>>1の続き)
中国とインドは西側国境地帯のカシミールと東側国境地帯のアルナーチャル・プラデーシュ州について、
領有権を巡り対立している。
中国は1962年、カシミールとびラダック、ザンスカール、バルティスターン、
アルナーチャル・プラデーシュに攻め込み、インド軍と激しい戦闘を展開した(中印国境紛争)。
中国側は戦闘を有利に進めた。
一部地域では自主的に退却したが、カシミール地区東部のアクサイチンはその後も実効支配を続けている。
「ひとつの中国」とは、中国大陸、マカオ、香港、台湾は不可分のひとつの国家であり、
中国が主張する場合には「中華人民共和国政府が全中国を代表する唯一の合法的政府である」
との意味も含まれる。
現在、特に問題となるのは、「台湾は中国の一部であり、分割は許されない」との主張だ。
インドが公式に「ひとつの中国」を認めない方針を貫けば、中国との関係が悪化する可能性がある。
なお、日中両国の「国交回復時の共同声明(1972年)」では台湾問題が
「中華人民共和国政府は、台湾(=中華民国)が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、
ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」とされている。
ポツダム宣言第8項は「カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに
われらが決定する諸小島に局限される」であり、カイロ宣言は「満洲、台湾、および澎湖島のごとき日本国が
清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する」との内容が含まれている。
各文章をそのまま総合すれば、日本は中国側の「ひとつの中国」の主張を「理解・尊重」をするが、
日本が「台湾は『中華人民共和国の一部』であることを承認した」とはなっていない。
台湾では、日本が第二次世界大戦の連合国の主要国と結んだサンフランシスコ条約(1952年発効)、
中華民国と結んだ日華平和条約(1952年発効)では、日本は台湾と澎湖諸島におけるすべての権利を放棄すると
書かれているが、台湾などの帰属には触れられていないことを根拠として、
終戦後の台湾の地位や主権についてはいまだ定まっていないと主張する「台湾地位未定論」がある。
(おわり)