14/08/27 00:26:34.56 uP9PllK20
>>382
■強制連行の有名事例「白馬事件」
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○スマラン郊外の数カ所の民間人抑留所から女性が集められた。
その際、オランダ人女性には読めない日本語で書かれた同意書に署名させたり、「仕事の種類が記されていなかったことがわかった」(公判での池田大佐の供述)。
計画の中心的役割を果たしたとみられた大久保大佐は、戦犯容疑者となったことを知り、故郷仙台で自殺している。
遺書には「能崎に責任がある」とあり、これも裁判では証拠資料となった。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
○裁判で通訳を務めた元主計中尉は62年の聞き取り調査で・・・「こんな恥ずかしい事件はほかにはなかった。弁護人もさじを投げていた。
人道上の罪を犯した事件といえば蘭裁判でこれくらいのものだろう」と厳しく批判する。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
○裁判で弁護を担当した萩原竹治郎弁護人へ、1958年に聞き取り調査が行われている。
そこでは、この事件を含め日本軍の戦争犯罪を裁いたオランダによるバタビア裁判全般について「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う。」
「実際にやっているのに無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された5倍も10倍もあったと思う。」と厳しい意見を述べている。(2)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
○バタビア臨時軍法会議(スマラン事件)は、~「慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」などと記されています。
自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の提言(07年)でさえ、「(軍や政府による強制連行は)ジャワ島における『スマラン事件』があった」と認めているものです。
URLリンク(www.jcp.or.jp)
○(能崎)中将が帰国後の66年、石川県庁で行われた聞き取り調査の記録によると、中将は
「連合軍の取り調べとなると、婦人たちもあることないこと並べたて、日本軍部を悪口する」と戦犯法廷に反論する一方、
「(慰安婦となる)承諾書を取る際も若干の人々に多少の強制があった」と述べた。
URLリンク(www.47news.jp)
○岡田慶治少佐(南方軍幹候隊歩兵隊)
・石田か或は他の中の一名が余に対し自由意志に基く婦女45名の名簿の中にも自由意志に基かざる者が数名ゐると云ふことを報告し来れり。
・35名の婦女の中にも慰安所にて働くことを志望せざるものが数名をると云ふ話も聞きたり。
○下田真治(軍属・慰安所「双葉荘」経営主)
・他の「キャンプ」にては婦人達は恐怖の為事務所へ来ず、一騒ぎありたりとのことを聞けり。
・之等7名の婦人が余の慰安所に来りたる後、余は中に自由意志に依らざる者あることを認めたり。…之を福田中尉に報告せり。而るに彼は「どうにもならぬ。構はぬから働かせよ」と云ひたり。
○蔦木健次郎(軍属・慰安所「将校クラブ」経営主)
・岡田は全員を集めて通訳を通じて、彼女等に彼女等は慰安所に入れられたのである。故に皆其の心算で行動せねばならぬと告げた。
・彼女等の第一夜は斯くして開始せられた。…1乃至2名の婦人の泣声を聞きたり。…余は又婦人達が泣いてゐるのを何回も見たり。
・貴下は婦女達の泣くのを良く見たりと云ふも、理由如何?…慰安婦の仕事が嫌で泣きたるものと思考す。
○山口元吉(第16軍兵站参謀)
・岡田少佐は友人たる憲兵隊村瀬少佐から、当時規定等は遵守の要なし、宜しく強制的にやるべしと云はれたり。
○尾西久太郎(憲兵中尉)
・岡田は「スマラン」及「マゲラン」の慰安所開設の許可申請に「バタビヤ」に来たる際、佐藤少佐と村瀬少佐と数回に亘り会見し、
斯かる際に村瀬は岡田に対し強制的に抑留婦人を以てする慰安所の開設を勧め、若しも問題が起りたる際は村瀬が責任を負ふと云ひたりとのことなり。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
池田省一 陸軍大佐 懲役15年 岡田慶冶 陸軍少佐 死刑 河村千代松 陸軍少佐 懲役10年
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古谷巌 軍属 懲役20年(スマラン倶楽部) 森本雪雄 軍属 懲役15年(日の丸倶楽部) 下田真治 軍属 懲役10年(青雲壮)
葛木健次郎 軍属 懲役7年(将校倶楽部) 大久保朝雄陸軍大佐 訴追を知り自殺