14/08/26 23:15:42.25 TPCqcmIe0
封印された過去ー日本人慰安婦
元日本軍兵士、Iさんは、1939年に入隊し、台湾から中国海南島、福建省、フィリピン、インドネシアと下級兵士として転戦していった過程で日本軍が駐屯していた様々な地の慰安所を見聞きしてきたという。
1944年、終戦間際のインドネシア、アンボンの慰安所には、十三名の女性がいて、そのうち、七名が日本人であった。
アンボンに来るまでは、「朝鮮ピー」の存在は知っていたが、日本人の女性まで慰安婦として狩り出されているとは思いも寄らなかったと。
彼女たちの大半は、看護婦や女給の仕事と誘拐まがいに騙され、慰安婦として狩り出された境遇がほとんどだったという。
戦前、中国・上海の海軍慰安所で「従軍慰安婦」として働かせる目的で、日本から女性をだまして連れて行った日本人慰安所経営者らが、
国外移送目的の誘拐を禁じた旧刑法226条の「国外移送、国外誘拐罪」で1937年、大審院(現在の最高裁)で有罪の確定判決を受けていた。
「国外移送誘拐被告事件」と題されたこの判例によると、事件の概要は、上海で軍人相手に女性に売春をさせていた業者が、32年の上海事変で駐屯する海軍軍人の増加に伴い、「海軍指定慰安所」の名称のもとに営業の拡張を計画。
知人と「醜業(売春)を秘し、女給か女中として雇うように欺まんし、移送することを謀議」し、知人の妻らに手伝わせ、長崎から15人の日本人女性を上海へ送った。毎日新聞1997年8月6日
日本から女性を騙して連れていった慰安所経営者らが、「国外移送、国外誘拐罪」で1937年、有罪の確定判決を受けた翌年、
1938年には陸軍兵務局兵務課から「軍慰安所従業婦等募集に関する件」、内務省警保局から「支那渡航婦女の取扱に関する件」、と立て続けに通牒が発せられている。
日本人慰安婦の場合、公娼制の下で国家管理下、売春をさせられていた女性たちが、まず狩り出されていった経緯があるにしても、
この様な通牒が陸軍と内務省から連続して発せられている背景には、慰安婦徴募に際し、人身売買や就業詐欺等の行為が、当時の植民地のみならず、内地においても少なからず横行していたことを物語る。
そして犠牲者は、同様に当時の社会の底辺に在った貧しい階層の少女たちであった。
URLリンク(www.kanpusaiban.net)