14/08/17 19:35:31.32 MAbXTCmC0
>>181
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そこでは、韓国の伝統衣装、チマ・チョゴリを着た4~5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた。
『元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね』
日本からの参加者がこう話すのを耳にしていた舘雅子は、あの部屋で見たのは「元慰安婦女性たちの振り付けだ」と確信した。
この日の午前中の会議は紛糾を極めた。各国の代表が発表に立った際のことだった。
『私たちは韓国の女性と違って、優しくて従順なので日本の兵隊さんにかわいがってもらい、遠足にも一緒にいきました。だから韓国の強い姿勢とは違う』
“台湾代表” がこう主張し、韓国側が要求する個人補償を求めない考えを表明すると、激しいヤジが飛んだ。声を荒らげて怒る人、議長席に詰め寄る人などで会場は騒然となった。
続いて、インドに住む “タイ人女性” が 『日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに』 と泣きながら訴えると、日本語の怒鳴り声が会場に響いた。
『黙りなさい。余計なことをいうな!』
舘雅子はこのときの様子を 『日本だけが悪いというストーリーを作り上げていた』 と述懐する。
会議では、慰安婦問題のためのアジア連帯を結成し、今後の連帯行動を進めることが決まった。さらに、日本に対し (1)歴史認識を改める (2)謝罪する (3)元慰安婦に賠償金を支払う (4)再発防止のための教育を行う - などを求めることで一致したという。
日本からの参加者は帰国後、日本政府に事実の調査と個人補償を要請する活動を展開した。舘雅子は、このときの会議の決議が「河野談話の基となったことを疑う余地はない」と断言する。
(敬称略、肩書は当時)
【【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(5)後半】火付け、たきつけた日本人たち】
平成4年(1992年)8月にソウルで開かれた 『挺身隊問題アジア連帯会議』 で、日本だけをたたく韓国とは違う視点を示した台湾やタイの女性に対し、『余計なことを言うな!』 と怒鳴った相手が誰かを、ジャーナリストの舘雅子(やかた まさこ)は記憶している。
声の主は、日本キリスト教婦人矯風会(ふじんきょうふうかい)メンバーで 『売買春問題ととりくむ会』 事務局長を務める高橋喜久江(たかはし きくえ)。
明治19年(1886年)に発足した矯風会(きょうふうかい)の初期の主な活動の一つに公娼制度の廃止運動(廃娼運動)がある。