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Paul Tibbets Interview ポール ティベッツ インタビュー
Tibbets: きのこ雲にもいろいろあります。それは原爆の種類により異なります。広島原爆はきのこ雲を作りませんでした。
その形はStringer(縦けた)と呼ばれるもので、単に立ち登るだけでした。
地獄みたいに黒色をしており、その中で光ったり、いろいろな色、白色、灰色であったりしてその頂点は折りたたんだクリスマスツリーのようでした。
Terkel: その下でどんなことが起こっているか考えたことがありますか?
Tibbets :地獄!ある歴史家が言った言葉がもっとも適切だと思います:「1マイクロ秒の間に広島市はなくなった」
Terkel: なぜ、第二の原爆をBockacarで長崎に投下したのですね?
Tibbets :ほかの人は誰も知りませんでした。私は知っていましたが、私以外は誰も知りませんでした。
三発目の原爆もありましたよ。
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第一の原爆を投下した後、2~3日間日本側から何の動きもありませんでした。
第二の原爆を投下してもその後数日間は音なしでした。
そこで、Curtis Lemay将軍(太平洋戦略空軍参謀長)から電話があり「あん畜生をもう一発用意できるかね」と聞かれました。
私は「はい」と答えました。
彼は「それはどこにあるんかね?」と聞いてきたので「ユタ州です」と答えました。
彼は「そいつをここへ持って来い。君と君の部下とでそいつを乗せて飛ぶのだ」と言いました。
私は「はい」と答え、それを飛行機に積んですぐテニアンに届けるよう指示しました。それがカリフオルニアの陸揚げ場に着いたとき、戦争は終わりました。
Terkel: ルメイ将軍は三番目の原爆を投下する気があったのかな?
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Tibbets: 誰にも分りません。