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■湯川博士のノーベル賞受賞の陰に
前回、「8月15日」の意義についてお話ししましたが、日本の敗戦を決定づけた広島、長崎への原爆
投下に関して、日本ではあまり知られていない史実があります。今回は小筆がアメリカ在住時に耳にし
た秘話を披露したいと思います。
広島、長崎の悲劇を生んだ原爆を発明したのは、オッペンハイマーやアインシュタインほかユダヤ系
化学・物理科学者たち(ナチスから逃れ米国へ移民した学者たち)によるマンハッタン計画でしたが、当
初の“ナチスドイツ殲滅・ヒットラー必殺の目標”が、想定外に早く訪れたヒットラーの自死とドイツの降伏
(5月)で、実験と投下のタイミングを失したのか、ウランとプルトニウムという二種類の核爆弾の準備を
万全に整えるのに遅れたのか(7月に実験成功)、おそらくこれらの理由により、5月以降も応戦を続け
ていた日本に振り向けることになったそうです
後になって、このことを知らされ、しかも人体実験も狙った2種2弾で、何と20数万人もの日本人非戦
闘民間人を被爆即死させてしまったことが分かり、関与した多くの科学者たちは自責の念に駆られまし
た。研究室を離れたり、ノイローゼにさいなまれたり、核の平和利用を訴える活動に転じたり…。オッペ
ンハイマーにいたっては「日本人に深くお詫びし、死をもって償いたい」と自死を遂げました。
※2014/08/17時点で一般公開が確認出来た記事の一部を引用しました、全文は元サイトでどうぞ
2014.8.17 07:00 - MSN産経ニュース
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
※補足
URLリンク(en.wikipedia.org)
>オッペンハイマーは、1965年後期に咽頭がんと診断されて手術、1966年後期に放射線治療と化学療
>法を受けるが成功はせず、 1967年2月15日に昏睡状態に陥り、2月18日に自宅で死亡した。