14/08/17 18:07:20.31 KVYe+UC10
>>516 つづき
「櫻井よし子の異様な変節」
櫻井は冒頭、こう断言する。
「史上最悪のチェルノブイリ原発事故から7年経ちました。
公の機関は、住民への被害はなかったなどと発表していますが、事実は全く違います」
広河は恐るべき実態を報告する。
事故当初、ソ連は「住民の被害はなかった」と発表した。
だが実は、初期の被曝を記録した唯一の物証であるカルテが何者かによって持ち去られ、所在がわからないという。
そしてかろうじて発見されたカルテには、住民が極めて高いレベルの被曝をしていたことが記されていた。
明らかにこれは当局による「被曝隠し」だった。
さらに事故4年後の1990年、IAEA(国際原子力機関)の調査団が現地入りした。
調査委員長は重松逸造という広島の医者で、現地の人々は日本人、しかも広島の医師なら公正な調査をしてもらえるものと期待した。
だが調査団は汚染の激しい地区には立ち入りもせず、食料は持参してきて現地の食べ物は一切口にせず、早々に引き揚げた。
そして翌年「住民に被曝被害はなかった」という報告書を発表したのだった。
重松逸造は、米国が広島・長崎の被爆者の「標本集め」のために設立したABCC(原爆障害委員会)のスタッフを経て、
ABCC等を再編した「放射線影響研究所」の理事長となり、同研究所を牛耳ってきた人物である。
しかもそればかりか、イタイイタイ病の公害認定の際に、原因はカドミウムではないとWHOに見直しを提起したとか、
スモン病の際に厚生省の調査班長を務め、キノホルムが原因だとは認めなかったとか、
とにかく「ザ・御用学者」とでも言うしかない人物だったのである!
IAEAが「安全宣言」を出したために、一時は盛り上がりを見せていた国際社会の支援は急速に収束していき、
チェルノブイリは忘れられた存在となってしまった。
そしてその陰で、住民の健康被害はどんどん拡大していった。IAEAの御用学者が、被害を拡大させたのである!