14/08/17 15:07:00.09 H+ohJY/r0
朝日新聞との闘い・われらの場合
~都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ~
URLリンク(www.history.gr.jp)
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号
アサヒ便所紙の「南京大虐殺」に関する捏造記事を掲載
記事内容:「今日逃げ場を失ったチャンコロ(中略)、それぞれ色々な方法で殺して…」
「今日もまたニーヤを(中略)、頭から火をつけてなぶり殺しにする。…」とアサヒ便所紙に掲載。
↓
生き残ってた「都城23連隊会」の人々のその後の調査によって、アサヒ便所紙の記事は、見るも無残に突き崩される。
連隊会の一行5名が、朝日新聞宮崎支局に第1回の抗議に出向いた。対応に出たのは中村大別支局長で、双方にはおおむね次のような激しいやりとりがあった。
連隊会「まずお伺いしますが、本件は東京の本社が取材されたのでしょうか」
支局長「いや、当宮崎支局の取材です」
連隊会「宮崎支局の取材とは驚いた。取材には万全を期しておられるか」
支局長「万全を期している」
連隊会「それなら、なぜ事前に連隊会に照会されなかったのか」
支局長「日記帳や写真が出てきたから、照会の必要はないと思った」
連隊会「日記には23連隊の何中隊と書いてあったか」
支局長「そこまで確認しなかった。こんど見ておく」
連隊会「その兵士の名前は」
支局長「いや!それは言えない。…(以下はURL内記事で。
URLリンク(www.history.gr.jp)
諸悪の根源は、アサヒ便所紙。
「つけ火して 煙喜ぶ アサヒ便所紙」