14/08/17 13:50:21.72 496dRYm60
>>145
強制連行>>94
■白馬事件>>94以外にもあった強制連行(2) (ネトウヨ本では教えてくれない日本史)
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オランダ印軍情報部J・N・ヘイヂブロエク陸軍大尉の報告「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」
(一九四六年七月五日付、インドネシア・ボルネオ島<カリマンタン>ポンティアナック)
一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイは日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。
・・・日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。
彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。
海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。
此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。
是等の逮捕は主として各兵曹長によって行はれました。
URLリンク(www1.korea-np.co.jp)
■白馬事件以外にもあった強制連行(7)
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・書証番号一七二五の文書には、被害女性の証言として「私ヲ他ノ六人ノ婦人ヤ少女等ト一緒ニ連レテ収容所ノ外側ニアッタ警察署ヘ連レテ行ッタ。
(中略)私等ヲ日本軍俘虜収容所事務所ヘ連レテ行キマシタ。此処デ私等ハ三人ノ日本人ニ引渡サレテ三台ノ私有自動車デ「マゲラン」ヘ輸送サレ、
(中略)私達ハ再ビ日本人医師ニ依ッテ健康診断ヲ受ケマシタ。此囘ハ少女等モ含ンデ居マシタ。其処デ私達ハ日本人向キ娼楼ニ向ケラレルモノ
デアルト聞カサレマシタ。(中略)私ハ一憲兵将校ガ入ッテ来ルマデ反抗シマシタ。其憲兵ハ私達ハ日本人ヲ接待シナケレバナラナイ。
何故カト云ヘバ若シ吾々ガ進ンデ応ジナイナラバ、居所ガ判ッテヰル吾々ノ夫ガ責任ヲ問ハレルト私ニ語リマシタ。」と記録されている。
URLリンク(www.sangiin.go.jp)
■白馬事件以外にもあった強制連行(5)
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「海軍特別警察隊」太平出版社、1975年
対象が決定したので次は方法であった。早急に対象となる女性のリストを作って、本人に交渉する。
ある程度の強制はやむを得ないだろうという事だった。(略)副官の大島主計大尉は何が何でも
やってやるぞという決意を顔一面に現して、「司令部の方針としては多少の強制があっても
出来るだけ多く集めること。その為には宣撫用の物資も用意する」(略)
「集めた女は全員必ず喜んで承知させるぞ、俺の腕のいい所をみていてくれ」
副官にはそういう自信がありありと見えた。結局女性集めは民政関係の現地人
警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊(憲兵)
は協力し各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになった。
敗戦後、民政警察の指導に当たっていた木村司政官が話してくれた。
「あの慰安婦集めではまったく酷い目にあいましたよ。サパロワ島でリストに
報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとした時、今でも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が続々と港に集まって船に近づいて、娘を返せ!
娘を返せ!と叫んだ声が耳に残ってますよ。拳を振り上げた住民の集団は恐ろしかったですよ」